ニュージーランド/セントラル・オタゴのピノ・ノワール

セントラル・オタゴは風光明媚だと聞いていた。写真も見たことがあった。しかし、実際に現地に足を運びその風景の中に佇んでみると、予想以上の感覚に襲われた。目を見張るほど美しいのだ。神が創りし映画のロケ地と言えば大袈裟かもしれないが、それほど特殊な立地と気候がこの地方に備わっていた。ある意味でエクストリームな感触を得ることが多いセントラル・オタゴのピノ・ノワールが、この環境から生まれるのだと納得した。

 

<ピノ・ノワール・セレブレーション2016

岩山の麓にある葡萄畑の上方では山羊が草を食んでいた

岩山の麓にある葡萄畑の上方では山羊が草を食んでいた

セントラル・オタゴでは、2000年から「ピノ・ノワール・セレブレーション」というイベントを行っている。今年で12回目となるのは、3、4年に一度開催されることになったニュージーランド全体のピノ・ノワールのイベントの年には、そちらに合流するからだ。

今年は33生産者が集合し、各国からのトレードや飲食店などのプロ、ジャーナリスト、コアな愛好家を含め総勢160名ほどで賑わった。2日半にわたるプログラムで、試飲、基調講演、パネル・ディスカッションが組まれていた。問題提起が行われ、楽しみながら真剣に議論する。自由度の高い国ならではだ。造り手の面々も、毎年このイベントによって何かしら刺激を受けているようだ。

 

<セントラル・オタゴの歴史>

ニュージーランドは、1世紀以上前からの先住民マオリ族の島だった。今でも国全体の人口400万人のうち14%をマオリが占めている。18世紀後半から欧米からの入植が始まったが、南島のセントラル・オタゴは1860年代に人口が2万人にまで急増した。ゴールド・ラッシュがその理由だ。ワイン産地を移動する途中で、当時の面影を残す小さな街がいくつか残っているのを垣間見た。

 

<セントラル・オタゴのワイン造りの歴史>

ニュージーランドを訪れたら、やっぱりラム!

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2014年現在のセントラル・オタゴでの葡萄栽培面積は1932haで、ニュージーランド全体の2.4%の生産量だ。そのうち1,484haがピノ・ノワールで、マルボロの2,492haに続いて2番目の主要産地という位置づけにある。

「セントラル・オタゴで最も古いワイン産地は、ギブストン、ワナカ、アレクサンドラの3か所で、1970年代から1932年までの間に存在したワイナリーは、ただ4つだけ。チャード・ファーム、リッポン、ブラック・リッジ、そしてギブストン・ヴァレーだ」と、ヴァリのテイラー・グラントがちょうどカリフォルニアから帰ってきた1932年のことを振り返りながら教えてくれた。

しかし、トゥー・パドックの総支配人ジャッキー・マーフィー曰く「1900年頃に、政府がイタリア人栽培学者のロメオ・ブラガートに調査を依頼していたとわかった。その結果『これほどワイン用葡萄栽培に適しているところはない』と絶賛した。ところが、その後忘れ去られていた」という。

実は、シドニーで1881年に行われた「バーガンディ」への金賞は、セントラル・オタゴの造り手に与えられたという歴史もある。1864年にフランス人のジャン・フェローが、アレクサンドラに植えた葡萄から造ったものだった。しかしその後ワイン産業は発達せず、チェリーやアプリコットなど、いわゆるストーン・フルーツの産地として発展した。今でも果樹園が多く、色がよく凝縮した香りと味わいの果実が豊かで、実に美味しかった。(Y. Nagoshi)

つづく/これ以降の内容につきましては、「ウォンズ」本誌「3月号」P.25〜33をご覧下さい。WANDS本誌の購入&購読はこちらから http://wandsmagazine.jp/subscribe/

セントラル・オタゴのユニーク性/サブ・リージョン/セントラル・オタゴのスタイル/フランスの産地別ピノ・ノワールを検証/今後のセントラル・オタゴ/セントラル・オタゴのピノ・ノワール専用グラス/訪問先:ヴァリ、フェルトン・ロード、トゥー・パドックス

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