〜シャトー・メルシャンの今〜 勝沼の銘醸畑「城の平」の改植と、新たなキュヴェの可能性

1998年からシャトー・メルシャンの栽培と醸造のコンサルティングを請け負った故・ポール・ポンタリエ氏は、初めて城の平の畑を訪ねた時にこう言った。

「畑がとてもきれいに管理されている。『城の平カベルネ・ソーヴィニヨン』の素晴らしさの理由がよくわかった」。

ちょうど前年にカベルネ・ソーヴィニヨンのお膝元ジロンド県で行われたコンクール「国際ワインチャレンジ」で、「城の平カベルネ・ソーヴィニヨン1990年」が日本ワイン初の金賞を受賞していた。

 

<城の平のはじまり>

ヴィンヤード・マネージャーの弦間氏(右)とチーフ・ワインメーカーの安蔵氏

ヴィンヤード・マネージャーの弦間氏(右)とチーフ・ワインメーカーの安蔵氏

勝沼町にある「城の平」は、甲府盆地の東端に位置する標高550〜600mの高地にある葡萄畑だ。

「1970年代には観光農園として甲州などの生食用葡萄が棚仕立てで栽培されていた」と、ヴィンヤード・マネージャーの弦間浩一は振り返る。シャトー・メルシャンが試験農場として敷地を購入した1981年当時には棚仕立てで甲州が植えられていた。「甲州が発見されたという伝説が残る場所だから」という。甲州種の2つの伝説のうちのひとつによると、城の平で雨宮勘解由が山葡萄とは別の葡萄を見つけて増やし、苗を分けて普及させたのが甲州の始まりとなった。

 

その後5年計画で、急斜面の山を掘り下げて現在のような段々畑に開墾した。2号園と呼ばれる区画には、1984年に初めてカベルネ・ソーヴィニヨンが垣根仕立てで植えられた。今では樹齢30年を越えている。

「塩尻でメルローが軌道に乗った時期だったこともあり、日本でのカベルネ・ソーヴィニヨンの可能性を試したい」と考えて、カベルネ・ソーヴィニヨンの植樹に踏み切った。

 

<改植と展望>

城の平は、今でも樹齢の高いカベルネ・ソーヴィニヨンが主体だが、全体の25%ほどがメルローで、その他にカベルネ・フラン、プティ・ヴェルド、シラーなどもところどころに植えられている。2003年頃から新たな展開が始まっていた。

 

改植の理由は、「これまでより城の平のテロワールを表現したい」という考えから。

天候により、カベルネ・ソーヴィニヨンの出来に満足のいかない年がある。しかし例えばボルドーでは、ひとつの畑でも複数の品種を栽培しているため、互いに補完関係にある。栽培面積と実際のブレンド比率が異なるのは衆知の通りだ。

「城の平」では、今までトップ・キュヴェとして「城の平カベルネ・ソーヴィニヨン」があり、セカンド・ワインとしてメルローやカベルネ・ソーヴィニヨンの若樹などを用いた「メリタージュ・ド・城の平」がある、という位置づけだ。

「樹齢が上がってきたこともあり、メルローのワインが充実して来た。城の平のテロワールそのものを表現できる、品種名ではなく『城の平』という畑名のトップ・キュヴェを造れないかと模索を始めている」と、チーフ・ワインメーカーの安蔵光弘は言う。

 

近いうちに城の平のテロワールの新たな姿を見ることができそうだ。

 

 

<補足>

2000年代になってから、温暖化の影響を感じている。例えば90年代は夏の最高気温は32℃を越えることはなかったが、近年では35℃以上になることが当たり前で、加えて夜温も下がらなくなった。夜でも20℃で寝苦しいという。しかし、幸いにして城の平は標高が高いので、涼しさを確保できる貴重な立地だ。また、訪問当日も始終風が吹いていたが、笹子峠からのドライな冷風「笹子おろし」が、ちょうど葡萄栽培に好条件をもたらしている。(Y. Nagoshi)

シャトー・メルシャン関連記事はこちらからご覧頂けます

WANDSメルマガ登録

関連記事

ページ上部へ戻る