ジャン・レオンの「カベルネ2007」は凄い!

ミレイア・トーレス

ミレイア・トーレス

「ジャン・レオンの本名はセフェリーノ・カリオン。ごく普通の名前でしょ」と、ミレイア・トーレスが笑いながら話し始めた。きょうは「ミゲル・トーレス」ではなく、同じペネデスの「ジャン・レオン」の話である。

スペイン北部のサンタンデールに生まれたセフェリーノは、1947年にニューヨークへ出稼ぎにいく。それから都合8度にわたってニューヨーク行きを繰り返したという。ついにニューヨークでは埒があかないとみて西へ向かい、新天地ハリウッドでフランク・シナトラのレストラン「ヴィラ・カプリ」に職を得てジャン・レオンを名乗った。

 

ジャン・レオンは立志伝中の人で有名人との逸話には事欠かない。貧しいスペイン移民の青年が長い下積み生活を経て、ビバリー・ヒルズに「ラ・スカラ」という名のレストランを開業する。それが1956年のこと。その直前に親しくしていたジェームズ・ディーンが謎の事故死をとげた。それでも店にはハリウッド黄金時代を支えた銀幕スターが続々やってきて繁盛した。ワインのストックは22,000本もあったという。

1960年代になると故国スペインのペネデスで自前のワインを造りはじめる。ペネデスの固有品種ではなくフランスからカベルネ・ソーヴィニヨンやシャルドネの苗木を買って植えた。そのワインは「ラ・スカラ」の特別な顧客の評判になった。

 

jeanleonジャン・レオンは民主党支持者だった。ロナルド・レーガンが共和党から大統領選にうってでた時、ハリウッドの俳優時代から旧知のジャン・レオンに支持を訴えた。ジャン・レオンはそれを受けいれ、共和党ではなくレーガン個人を支持したという。その返礼の意味を込めてレーガンは大統領就任の晩さん会にジャン・レオンのワインを採用した。スペインワインがアメリカ大統領の晩さん会に採用されたことで、ジャン・レオンはスペインですっかり有名になった。1981年のことである。

 

晩年、ジャン・レオンは病を得てペネデスのワイナリー経営を親友のミゲル・トーレスに託した。1994年、ミゲル・トーレスは畑もブランド名もそのまま維持して、最高品質のワイン造りに乗り出した。2010年からはミゲルの娘・ミレイアがジャン・レオンの責任者に就いた。ミレイアはジャン・レオンのラベルを変え、「3055」という新シリーズを創りだした。「3055」はジャン・レオンがニューヨークでタクシー運転手をしていた時の鑑札番号である。畑には有機栽培を取り入れ2012年ヴィンテージからラベルに「オーガニック」を表示している。

 

ミレイア・トーレスさんエノテカへようこそ!

ミレイア・トーレスさんエノテカへようこそ!

その夜、ミレイアを囲んでワインメーカーズ・ディナーが開かれた。輸出担当のジョセップ・プラナが、「このワインを呑んですっかり酔いの回った人は、たいがい“ジョン・レノン”のワインはおいしいねぇと言うんだよ」といって会を和ませた。

とてもおいしかったのは「ヴィーニャ・ラ・スカラ・カベルネ・ソーヴィニヨン・グラン・レゼルバ2007」である。黒いフルーツと黒胡椒などスパイスのアロマ、香りにも味わいにもカベルネ特有の青さが微塵もない。やさしい口当たり、味わいに膨らみとインテンスがある。きれいな酸としなやかなタンニンのバランスがよくて飲み飽きしない。スペインでこんなエレガントなカベルネを探すのは容易いことではない。1本7,000円だという。決して安くはないが、とてもお買い得な値段だと思う。酔いがまわる前にしっかり“ジャン・レオン”とメモしてある。間違いない。(K. B.)

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