ジンファンデル アメリカのレジェンド

カリフォルニアを象徴するブドウ品種、ジンファンデル。

アメリカでは安定した人気があり、日本のワイン・ビジネス関係者やワイン愛好家も知らない者はいないだろう。だが、その認知度の高さの割には積極的に売られていないし、愛好家の関心もいまひとつ低い。売る側にすれば、強い引き合いもないし…というのが大半の意見かもしれない。好事家の飲み物、アメリカ好きにしかウケない味わい、などの偏見も多いように思う。エレガントなワインを好むことがトレンドになっている昨今、ジンファンデルはちょっと時代遅れで野暮ったいイメージを持たれている空気がある。過去に刷り込まれた偏った知識や先入観は一度捨て、ピュアな目でこの品種を見つめてみよう。

 

<ジンファンデルの歴史>

11.MW Seghesio3ジンファンデルは、1829年にニューヨーク州ロングアイランドに幾種類かのブドウの苗とともにオーストリアから持ち込まれた。オーストリアには綴りがZinfandelに似ていて紛らわしいZierfandlerがあるが、こちらは100年も後に交配された品種だから関係ない。その後、1852年にカリフォルニアに運ばれ、大きく作付面積を拡げた。この頃に始まったゴールド・ラッシュのせいで支柱やワイヤーが不足気味な中、ジンファンデルはそれらを必要としないヘッド・プルーニング※1で安上がりに栽培できた。鉱夫らは滋養のある飲み物を

欲したし、ブドウ栽培者らは健全で大きな房を付けるブドウを欲した。まさに時代がジンファンデルを後押しした形だ。

 

1879年から10年間に亘るカリフォルニアの第一次ワインブームで、最も作付面積の大きな品種となる。1890年代に北カリフォルニアを襲ったフィロキセラ害の後に植え替えが行われた際、ジンファンデルはテーブルワインの主要赤品種としてイタリア移民によって植えられて拡がり、一部地域では被害を免れて生き残った。1919年から14年間続いた禁酒法の時代には商業用の酒造りが違法となり、自家消費用ワインの原料としてジンファンデルは重宝される。

 

1973年に果汁のみを醸したホワイト・ジンファンデルが開発されたが、色は白というより薄いピンク色だったため、ブラッシュ(頬を染めた時の色)というカテゴリが生まれ、1980年代半ばまでには大人気となる。このブームは日本にも上陸していて、白だと誤解を招き易いホワイト・ジンファンデルという呼称よりも、桜色のブラッシュワインとして売り出されていた記憶がある。日本では一過性のブームだったが、アメリカでは今でも最も売れているこの品種のアイテムはホワイト・ジンファンデルだ。

 

その一方で、プレミアムなジンファンデルを造る生産者も増えてきて、1990年代には作付面積5,000エーカーを超え、100 年ぶりにカリフォルニア№1の赤品種に返り咲く。過去20年に遡って見渡すと、グローバル品種の伸長率が大きく、2001年にはカベルネ・ソーヴィニヨンに1位の座を明け渡すも、安定的な人気を保ち続け、現在では2位の座をキープしている。

 

<ジンファンデル愛>

ジンファンデルのサポーターは熱い。ピノ・ノワール好きは王道を歩んでいる感があり、リースリング推しは粛々と我が道を歩む雰囲気が漂う。ジンへの愛の塊が形になったものが、1991年に設立されたZAP※2だろう。ジンファンデルに関する研究・教育を目的とし、同品種の文化的・歴史的重要性を訴求する非営利の振興団体だ。任意加入制で250社を超えるワイナリー、約5,000名の一般愛好家が会員となっている。

 

サンフランシスコで毎年2月に開催される祭典「ジンファンデル・エクスペリエンス」は今年で25周年。150もの生産者が一堂に会し、1万人以上の来場者で賑わう、単一ブドウ品種のイベントとしては世界最大規模だ。(S.Kondo)

1 ヘッド・プルーニング ゴブレ【仏】。株仕立てのひとつで、太い株状になった主幹に数本の主枝を円状に配置、ワイングラス状に短梢剪定する。葉で果実が日陰になり、収量を

抑えられ、凝縮した果実を生む。

2 ZAP Zinfandel Advocate & Producers=ジンファンデル愛好家&生産者連盟

つづき<ジンファンデルの出自> <ジンファンデルの聖地> <エレガントなジン> <幅広いジャンルの料理に> <日本市場での今後> につきましては、ウォンズ7&8月合併号をご覧下さい。ウォンズのご購入・ご購読はこちらから

WANDSメルマガ登録

関連記事

ページ上部へ戻る