ボルドーワイン 才能あふれる5 人のコンサルタント

今、最も活躍するボルドーの5 人のワイン・コンサルタントが代表的な顧客のワインを持ち寄って紹介するという催しがパリのレストラン・アルページュで開かれた。

「才能溢れる5 人のワインの帝王」と題したこの催しに出席したのは、ミッシェル・ロラン、エリック・ボワスノ、ユベール・ド・ブアール、ステファンヌ・ドゥルノンクール、故ドゥニ・デュブルデューの5 人。

そして、この5 人がコンサルティングしている代表的なシャトーとして、ラグランジュ(マチュー・ボルド、サンジュリアン)、パヴィ・マカン(ニコラ・ティヤンポン、サンテミリオン)、パプ・クレマン(セシル・ダカン、ペサック・レオニャン)、ラモット・ベルジュロン(ローラン・メリ、オ・メドック)、オ・バイイ(ヴェロニック・サンデール、ペサック・レオニャン)の責任者が招かれ、それぞれのワインをアラン・パサールの料理に合わせた。

 

5 人のコンサルタントの顧客はボルドーだけでなくイタリア、米国、オーストラリアなど世界40 か国にまたがり、あわせて約800 ワイナリー、畑面積で約4000ha に上るという。ワイン・コンサルタントの仕事はボルドー大学の醸造学教授だったエミール・ペイノが1960 ~1970 年代に研究室を出てシャトーに実利的な助言をしたのが始まりだが、ワイン・コンサルタントという仕事が一般に認められるようになったのはミッシェル・ロランが本格的な活動を始めた1980 年代半ば以降のことだ。

 

<ミッシェル・ロラン>

1947 年生まれ、フライング・ワインメーカーの愛称を持つミッシェル・ロランはワイン・コンサルタントを始めたきっかけを次のように語った。

「簡単に言えば私は醸造のラボにいるのに飽きたのです。ピペットを操るのも時には良いが、それよりも私はラボから外に出てお客さんに会い、ドメーヌを実際に見てそこで人々の意見を聞きたいと思ったのです」。

 

最初にミッシェル・ロランが助言をしたのはシャトー・ダッソーだ。フランス最大の軍事航空機会社ダッソー・アビアシオンを含むグループ・ダッソーの創始者マルセル・ダッソーがサンテミリオンのシャトーを購入した時、シャトーの管理をアンドレ・ヴェルジエットという信頼のおける堅い人物に任せた。

「彼は軍人上がりで生真面目だがワインのことは全く分からず、困って私のところに助言を求めてきたのです。1973 年の事です。その後、ガロンヌ川を渡って左岸メドックに進出したのは1986 年。13 年かかりました。苦労してやっと辿り着いた目標だったので、メドックに行くためのパスポートを取得した日のことを今でも良く覚えています。ポイヤックのシャトー・ベルグラーヴのコンサルタントの仕事を引き受けたのです」。

自分のキャリアを振り返り、右岸と左岸の間に分厚い壁があったことをシニカルに語った。

 

今日、助言をしているシャトー、ドメーヌの数は約250軒。そのうち約180 シャトーがボルドー。生まれ育ったポムロール、そしてサンテミリオンだけでなくメドック、グラーヴなど幅広い。また、スペイン、イタリア、アルゼンチン、イスラエル、トルコ、インド、中国などクライアントは全世界14 か国にまたがっている。ボルドーの主な顧客はシャトー・パヴィ、フィジャック、トロロンモンド、エヴァンジル、レオヴィル・ポワフェレ、スミス・オ・ラフィットなど。

 

ミッシェル・ロランの顧客の一人で今回のゲストとして招かれたパプ・クレマンのセシル・ダンカン(ベルナール・マグレの娘でパプ・クレマンを管理するグループ・ベルナール・マグレの共同代表)は、

「ミッシェル・ロランの助けがなかったら今日のシャトー・パプ・クレマンの名声はなかったと思う。そして、多分、その後に続くシャトー・フォンブロージュ(サン・テミリオン・グラン・クリュ・クラツセ)やラ・トゥール・カルネ(メドック4 級)の買収も実現しなかった」と、述べた。

 

ミッシェル・ロランのワインスタイルを要約すれば濃縮と成熟だろう。そのために欠かせないのが摘房と成熟した葡萄の収穫だ。この原則は単純で、今日世界的にその重要性が認められているが、かつてはそうではなかった。これを広めた功績は大きい。(T.Matsuura)

つづき(ステファンヌ・ドゥルノンクール/ユベール・ド・ブアール/ドゥニ・デュブルデュー/エリック・ボワスノ)につきましては、ウォンズ7&8月合併号をご覧下さい。ウォンズのご購入・ご購読はこちらから

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