「麻井宇介のワイン余話」 余話。その1 ワインづくりが技術を獲得するまで 〜パスツール以後〜③&④

「麻井宇介のワイン余話」 余話。その1 ワインづくりが技術を獲得するまで 〜パスツール以降〜③

ワインづくりに、今日でもまだ見られるこういう光景は、パスツール以前の遺風のように見えるかも知れません。そうであるともいえます。なぜなら、この地域に進歩の思想が浸透してくると、農家は最新鋭の巨大な共同醸造場を経営する農業協同組合に加盟して、陳腐な道具しかない自前のケラーでの仕事から離れていきます。しかし、ブルゴーニュの高名なドメーヌには、今でも敢えて昔の仕込みにこだわり続けるところがあります。ワインにおけるパスツール 以前は、文明化という文脈の中で、あっさり否定されてしまうほど脆いものではありません。

パスツール以前・以後を画するのは「文明化」だと前に申しました。当然、それを支える科学・技術の進歩があります。そこで、視点を文化・文明から醸造技術の進歩へ移して考えてみます。

パスツール以後のワインづくりはいかなる進歩を遂げたのでしょうか。昔のままで以後100年変わらずにいたのではありません。進歩はあったのです。
それはワイン生産の大規模化です。そしてそれを可能としたのが、大量処理の能カアップと工程のスピード・アップでした。これは機械工学的な発達で、微生物学の進歩がビールの場合のように主導権を握ってはいません。それよりも、ワインでは、マスマーケットの成立が醸造における規模拡大を刺激したといった方がよいでしょう。それ以前は、地域ごとに生産と消費が小規模に平衡を保って、各地に地ワインが文化として存在する状況だったのです。

 

大規模化は日常消費ワインの都市マーケットへの供給から始まりました。或る時期、フランスにおける最大のワイン会社は?という問いに、答えは「N」というブランドを持つ会社、私達ワインをつくる立場の者には、たいへん意外性のあるクイズがありました。今はもう様子が変わっています。

なぜ意外だったかと申しますと、つくり手の立場にいますと、つい醸造の規模で考えてしまう。「N」はパリ近郊にブレンドタンクと大きな壜詰工場を持つ自己の商標ワイン出荷量フランス第一位、ということはおそらく世界最大のワイン会社であったのです。

ところが、こういうボトラーにバルクワインを提供する醸造場は、ここもまた大規模化して、やがては自社の壜詰製品が大衆消費市場へ出ていくことになります。

1970年代前半、はじめてヨーロッパ各地を見て歩いたとき、そうしたスケールの大きいワイナリーはどこの国にもありました。その一方、伝統産地の名のあるワイナリーが、特にブルゴーニュで、こんなに小さいのかと、びっくりしたものです。

恥ずかしながら、このときは、世界のワインビジネスが、クオリティーとオーディナリーという二重構造を形成しているのだとは理解できなくて、一見、大きなワイナリーの方が合理的で進歩していると思ってしまいました。ワインの味わいに、技術がどう反映しているかということより、目に見える機械設備の方が、進歩を実感させてくれたのです。

しかし、スケールの巨大さで本当にびっくりしたのは、1976年、アルゼンチンのメンドーサへいった時のことです。出かけた理由はアルゼンチンワインの品質向上のため、技術指導という名目だったのですが、これはアルゼンチンワインの名誉のために、われわれがアルゼンチンのワイン事情を知らなかったため失礼な表現をしたと訂正しておかなければなりません。

 

 

「麻井宇介のワイン余話」 余話。その1 ワインづくりが技術を獲得するまで 〜パスツール以降〜④

出かける前後の事情にちょっと触れておきます。

その頃、日本では急にワインが売れ出して、ブームとか書きたてられ、業界が活気づいていたんです。ところが、それまでワインはいくら項張っても売れない。明治から100年、それで来たわけですから、ワイン用のブドウ畑はごく僅かしかありません。たちまち不足しますし、すぐに増産できるわけでもない。となると、まずはバルクワインに頼るしか方法はなかったのです。

そこでどこから輸入するか。品質は良くて価格は安い。そんな都合の良いものが簡単に手に入るわけはありません。価格では、当時、関税がまだかなり高かったので、特恵国のものに限られます。EUに加盟する前のスペイン、東欧諸国なかでもブルガリアと旧ユーゴスラヴィア、この三国が供給量も多く、品質も比扱的良いものがオファーされました。けれども買付数量が増加すれば取引は次第にタイトになります。ワイン消費は伸び続けると予測して、次の産地を確保しなければなりません。相手国として当然浮上するのはアルゼンチンです。なにしろ、世界第5位のワイン生産大国なのですから。

それがなぜ残っていたか。忘れていたのではありません。大手のワイン会社はみな調査に行っているのです。その結論が「品質が悪くて使えない」ということでした。それを技術力の低さとみたんですね。私が技術指導という名目で行ってこいと言われたのは、こんな理由からだったのです。

 

とにかく「あんまりひどいワインを平気でつくる技術」の悪評ばかり聞かされていましたから、行ってみて、まずスケールの大きさに庄倒されてしまいました。すべてが広々としていて、のんびり仕事しているように見えるので、最初はその巨大ささえ実感として捉えることはできませんでした。夕方、ブドウの入荷が終わったとき、今日は何t仕込んだのか聞いたのです。すると返ってきた答えが、「予定ほど集まらなかったけれど、2000tちょっと」というではありませんか。

私が勝沼で史上最高に仕込んだといって胸を張ったのが2年前の1974年、8月の終わりから11月の初旬まで、それこそ眠る間も惜しんでやっと2000t達成した、それを1日で苦もなく仕込んでしまう。愕然としました。

彼等のワイナリーの能力は1日3000t、1シーズンで15万t、1仕込が赤で600t、白で1000klです。その頃の勝沼は1仕込の大きさが10t から20tでした。困ったのは、試験仕込みをしようにも小さなタンクがまったくないことでした。それで、いきなり600tのプドウで試験するわけです。こちらは心配でたまらない。工場長は「気にするな。あとは面倒みてやるよ」という。どんなワインができても平気なんです。

というのは、彼等の製品はメンドーサで醸造して、1000km東のブエノスアイレスで壜詰していた。毎日、石油のタンカーと同じ貨車を10両か15両繋げた特別編成の輸送列車を走らせているんです。そのワインは彼等のいうコモンワイン、日常大量に消費されるごく普通のワインで、いつでも均質のものが要求されます。そのためのブレンドタンクが5250kl、これが地下3階まであるセラーをぶち抜いてドカンとあるのです。

日本のワイン消費量は、ブームが起こる前まではずっと5000kl前後でしたから、そのタンクをみて、これが日本人が1年に飲む量かと感慨に耐えませんでした。600tの試験仕込がどんな出来であろうと気にかけずにいられるわけです。そして、そのワインの品質を改善しろというのが、バルクワインを買付けたい日本のワインメーカーの言い分です。

私達がいうところの良いワイン、彼等はそれをフィーノというのですが、それはつくろうとしない。技術が劣っていてつくれないのではなく、フィーノのマーケットが存在しないのです。それでコモンワインの生産施設の装置化だけがものすごく進歩した。飲み手はコモンワインに不満を感じていない。品質の向上は、それを求める飲み手がいて、はじめて始まるのです。アルゼンチンの醸造技術を批判するのは見当違いで、問題はフィーノをつくる動機がなかったのと、システム化されたコモンワインのワイナリーでは、コモンワインしかつくれない仕組みになっていることにあったのです。

余話の余話」もご参考に(この前後の余話のリンク先も記しています)

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