「麻井宇介のワイン余話」 余話。その1 ワインづくりが技術を獲得するまで 〜パスツール以降〜⑦&⑧

「麻井宇介のワイン余話」 余話。その1 ワインづくりが技術を獲得するまで 〜パスツール以降〜⑦

ワイン醸造は太古よりパスツールまで、微生物学的に言えば、混渾の世界にあったと表現してよいと思います。そして、パスツール以後の醸造技術が志向したのは、「無菌化」と「純粋培養」でした。

技術technologyは単なる技(わざ)skillではありません。言葉として語られるもの、思想を伴うものです。1960年代、新鋭化したワイン醸造の機械・装置が、混渾から純粋を目指してひとつの系に組み立てられたとき、そこに初めて姿を現したのが、フレッシュ・アンド・フルーティと呼ばれるタイプのワインだったのです。

このタイプの酒質が形成されるには、いくつかの要件があります。きれいな果汁、きれいな醗酵、そして酸化防止です。

酸化防止は無水亜硫酸の適切な使用も大切ですが、それと同時に破砕や圧搾の迅速さがたいへん効果的です。果汁をきれいにすることはフレッシュなワインを仕上げるため重要ですが、これは遠心分離機でできます。フルーティな香気は、このきれいな果汁を低温醗酵させるときに生れます。そのためには好適な純粋培養酵母を用いることも当然行います。さらに、以前のドイツワインはミット・プレディカート以外は、通常、辛口だったのですが、果汁の一部を醗酵させずに保存し、醗酵タンクの果汁がワインとなった後で未醗酵の果汁を加える醸造法を開発しました。これで甘味の程度を自由に変えられますし、酸の高いドイツワインにバランスのとれた飲みやすい味をつくり出せるようになりました。そして、このワインの新鮮なおいしさを失わないように生詰めするところまで、フレッ シュ・アンド・フルーティと名乗る新しいタイプのワインの製法が、1960年代から1970年代始めにかけて一気に完成したのです。

これは、ワインづくりがパスツール以前から継承する混沌から抜け出して、はじめて純粋さというものを意図的意識的に追求する段階に入ったことを意味しています。

ワインについて、混沌とか純粋とか申しましたけれど、これは一種のスタイルと考えて下さい。甘口と辛口、或いは若飲みのワインに対して熟成型のワイン、というのと同じセンスで理解してほしいのです。若飲みタイプは純粋型のワインです。混沌型のワインは熟成タイプです。パスツールを起点とする近代醸造は、どの酒についても、まず純粋さを追うところから始まります。そしてワインの場合、ドイツが起点であったのは幸運でした。なぜなら、赤のかもし仕込みは、混沌としていて、純粋さを追求するには、とても都合が悪いのです。白の場合、果汁だけを醗酵させますから、清浄な醗酵を維持するのは、赤よりははるかに容易だったからです。

ここで、もう一つ指摘しておきます。

ワインは、先ほども申しましたが、農業と一体のものです。原料となるブドウを介して産地の風土と強く結びついています。文化として存在する飲みものなんですね。穀類の酒とは、そこが本質的に違います。ビールが文明化していく経緯を装置化という観点で先に述べましたが、原料から見てもビールはワインより格段に風土ばなれしやすいのです。

ところが、フレッシュ・アンド・フルーティというスタイルは、ワインの風土性に風穴をあけたのです。この技術はすべての白ワインに適用できます。どこでやっても同じスタイルのものがつくれるということは文明化なのです。というわけで、ワインの文明化はここから始まったことを強調しておきます。同様の例を、赤ワインについて一つ挙げておきます。それは、マセラシオン・カルボニックの技術を用いてつくられる早飲みタイプの軽い赤ワインです。その代表は、よく知られているボージョレ・ヌーヴォーで、一見、産地固有のスタイルと思いこみやすいのですが同様の特徴を持ったワインは、ガメイ種だけでなく、カリニャンでもグルナッシュでも、日本のマスカット・べリーAからでもつくることができます。

 

「麻井宇介のワイン余話」 余話。その1 ワインづくりが技術を獲得するまで 〜パスツール以降〜⑧

さて、パスツール以後100年にして、ワインにも文明化の現象がようやく観察されるようになりました。そして、ワインづくりにおける文明化は、ワイン文化の後進国、アメリカや日本において、ワイン消費の伸長と同調しているのです。

リープフラウミルヒ、マテウスロゼ、ボージョレ・ヌーヴォー。これらの商品が世界的な成功をおさめたのは、それぞれの原産国の文化として市場に受容されたのではありません。おそらく、つくり手も意識しないうちに、フレッシュ・アンド・フルーティの技術が、それらのワインの性格を、文明化の方向へ押しやったからなのです。

ワインづくりにおける文明化は、つくり手が「技術」を獲得したその時点から始まりました。1970年代は、銘醸ワインといえども、その風潮の圏外に毅然としてはいられなかった時代です。熟成に長い年月を必要とする濃厚で混沌とした赤ワインは時代遅れと見られました。白ワインもクリーンであることが強く求められ、酸化は徹底して排除されました。しかし、そうなって、はたと感じることがありました。昔は凄いワインがあったのに、なぜ今は感銘が薄くなったの か・・・。

パスツール以後の進歩は、マスプロ化、迅速化、無菌化など、考えてみれば没個性化へ向かう道をひたすら走っていたのです。そこで切り捨てられてしまった成分の復権なしに、凄いワインの感銘は戻ってきません。

その反省が、スキンコンタクト、ハイパーオキシデーション、コールドマセレーション、自然発酵、無濾過などの提案となりました。これらは純粋を追求した後の「揺り戻し操作」であって、新しい技術ではありません。

この揺り戻しは、混沌へ帰ることとは違います。純粋へ向かう間に欠落した「複雑さ」の回復なのです。この複雑さはブドウに内在するワインの要素と微生物の力によって形成されます。混沌と複雑の違いは、そこに「洗練」という秩序が感知できるか否かで決まります。

この秩序をワインにもたらすのが、現代の醸造技術なのです。

 

これで「その1」は終了です。「余話の余話」もご参考に(この前後の余話のリンク先も記しています)

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