アルザスのスパークリングワイン クレマン・ダルザスの品不足続く

2015年のクレマン・ダルザス対日輸出量は872hl(約11万6000本)で過去最高を記録した。これは、ここ数年、クレマン・ダルザスの品質向上がめざましく、シャンパーニュの普及品と肩を比べる評価を得るようになっているからだ。しかも価格はシャンパーニュの3分の1。クレマン・ダルザスの輸出の伸びはこうした品質と価格のバランスの良さが認められた結果だろう。アルザスワイン委員会がまとめた資料とクレマン・ダルザスの生産家を紹介する。

 

アルザスでは19 世紀からスパークリングワインを生産してきたが、瓶内二次発酵、いわゆるシャンパーニュ方式を用いた本格的なワインが作られるようになったのは20 世紀初頭になってから。1900 年にパリで開かれた万国博覧会で紹介されたシャンパーニュの生産方法を見たドッフ・オ・ムランのギュスターヴ・ジュリアン・ドッフがアルザスの白ワインを使って作ろうと思い立ったのが始まりだ。

 

3 年ほどエペルネでシャンパーニュ製法を研究してアルザスに戻ったジュリアン・ドッフは当初、シャンパーニュから運んだワインを用いていたが、徐々にアルザス産の3 つのピノ(ピノ・ブラン、ピノ・グリ、ピノ・ノワール)に置き換え、アルザス産の本格的スパークリングワインを完成させた。

その独自性を際立たせるために1913 年から使い始めた縦長のボトル、いわゆるフリュトは後にアルザス全体で使われるようになり、アルザスワインの象徴となった。

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ギュスターヴ・ジュリアンの息子ピエールは1976 年にアペラシオン・クレマン・ダルザスを創設し、エギスハイムのヴォルフベルジェやベンヴィルのベストハイムなどとともにクレマン・ダルザスの発展に多大な功績を残し、昨年94 歳で亡くなった。1999 年までの25 年間、クレマン・ダルザス生産者組合会長を務め、この間、スペインのコドルニウが長年製品名として使ってきたグラン・クレマンの使用を中止させるなど、クレマンの名称保護に力を尽くしたことが知られている。

 

長い間、瓶内二次発酵で作るワインは「シャンパーニュ方式」と呼ばれてきたが、これをやめる代わりに、シャンパーニュで使用されていた「クレマン」の名称を、その他のスパークリングワインの名称として独占的に使用する交渉にも関わった。

「クレマン」はもともと瓶内発酵がうまく進まず、普通は6 気圧になるガス圧が3~3.5 気圧に留まったいわば欠陥ボトルだが、ガス圧の弱い独特の喉越しになるため、これを特に「クレマン・ド・シャンパーニュ」と呼び、ローラン・ペリエやマムが販売して人気を得ていた。

 

昨年新たに認可されたクレマン・ド・サヴォワを含めて8 地域でクレマンの生産が認められており、これらは各地域の生産家組合の全国連合組織の傘下にある。シャンパーニュを別にして、クレマン・ダルザスがフランス産スパークリングワインをリードしており、全クレマンの約50%をクレマン・ダルザスが占めている。(T. Matsuura)

つづき(クレマン・ダルザス輸出状況&販売推移/ベルナール・ブルチの意見とお薦め生産者/訪問記:ドメーヌ・フェルナン・アンジェル、メゾン・リュルマン・シュッツ、カーヴ・デュ・ロワ・ダゴベール)につきましては、ウォンズ9月号をご覧下さい。ウォンズのご購入・ご購読はこちらから

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