ドメーヌ・ルフレーヴの4代目当主ブリス・ド・ラ・モンディエールに聞く② 〜アンヌ=クロード・ルフレーヴの後〜

ドメーヌ・ルフレーヴの4代目当主に就任したブリス・ド・ラ・モンディエールに聞いた、2016年のモンラッシェの共同製作については 〜2016年ヴィンテージとサプライズの真相〜 に記した。今回は、アンヌ=クロード・ルフレーヴの後ドメーヌ・ルフレーヴをどのように率いていくのか、新当主としての意気込みや方針についてまとめる。

 

<異業種から>

leflaiveperson 穏やかな表情のブリス・ド・ラ・モンディエールは、20歳でMBAを取得し、26歳でオックスフォード大学にて経済学の講義をしていたというキレものだ。子供の頃からワインとの関わりが深い生活をしてきたが、仕事としては初めての取り組みとなった。それまでは、油圧機器の部品を取り扱う世界有数の会社で指揮をとり、海外での生活も長いという。

「(初代の)ジョセフ、(2代目の)ヴァンサンと私には共通点がいくつかある。グラン・ゼコールを出ていること。ワイン・ビジネスの前に工学系の仕事をしていること。国際的な経験が多いこと。ワインに情熱を持っていること」だと、50を過ぎてからの人生の転換におくする様子はまったく感じられなかった。

 

2015年の4月に叔母にあたる3代目のアンヌ=クロード・ルフレーヴが他界し、35名のファミリー・メンバーが一同に会した。そして投票によって新当主に選ばれた。ある意味で華やかなキャリアを捨てる、という決断だった。しかし家族が守り、そして創り上げてきた、世界に誇る偉大な白ワインの継承に残りの人生をかけることにした。

「正直なところ家族経営の会社は、大会社の経営より複雑だ」と笑う。それから1年半、ワインについて徹底的に学んだ。

leflaivebottles

<変わらぬ家族経営と微調整>
ファミリー・メンバーが集まり、最初に決めたのは「今後も家族経営を続けること」「家族の一員が指揮をとること」だった。

「自然に敬意をもちテロワールを表現することと、バランスを考えること」。これが最も大切な哲学の一つであると考えている。アンヌ=クロードによって1996年にビオディナミに転換してからちょうど今年で20周年を迎えたところだ。

「畑での仕事だけでなく、醸造所の中においても同様の精神を貫いている。もちろん自然酵母しか用いないし、酵素などを加えることも全くない。これらは、最高のアロマ、エレガンス、フィネス、バランスを備えたワインに仕上げることを目的として行っていることだ」。

 

既にドメーヌ・ルフレーヴのスタイルは完成し、世界的に高い名声も勝ち得ているため、栽培や醸造においてさして変えることもないように思うが「細かい点でも改善・改良できる点がないかどうか、つぶさに観て微調整を行っている」という。

例えば、新しいプレスを2台導入して合計4台になった。近年、収穫期の気温が高いと感じる年があるため、収穫の後に葡萄をケースに入れたままプレスのタイミングを待つ時間がないように、という配慮だ。「収穫からプレスまでの時間はなるべく短い方がよいため、とても重要だ」。

また、デブルバージュをする部屋の温度が一定に保たれるように、カーヴ内の工事をした。

樽熟成中のバトナージュは少なくした。コラージュも軽くしか行わない。

また、コルクについてはTCAのリスクを回避したディアムに変更した。マコンだけは間に合わなかったが、他はすべて2014年ヴィンテージからの導入だ。

多くの資料に目を通し、友人知人の意見も聞き、コルク臭やボトル差をなくし均質なワインにするには、ディアムコルクが最良の策だと結論づけたからだ。

 

<美味しく飲むために>

「ルフレーヴ一族の子供たちは、ワインを学ぶのに学校へは行かない」。そう言って、面白い逸話をひとつ教えてくれた。

彼の両親も祖父母と同様に頻繁に食事会を開いていたという。ただし、子供たちは早々にお腹を満たしてベッドへ入る、というのがお決まりだ。しかし幼いながら、どんなに美味しいものが食卓で開けられているのか知っていた。そして、翌朝早起きすれば、時間が経ち温度も上がり、ちょうど十分に開いた液体がグラスにいくらか残されていることも。

1級のピュッセルを飲みながらのことだった。「ピュアでエレガンスがありミネラルも豊かで。特級並みの1級だと思っている。いつも他よりも閉じていることが多いが、7年から10年経過すると、最高の状態になる」と、惚れ惚れとした表情で語った。

 

とはいえ、ピュッセルだけではなくルフレーヴのワインは開くのがゆっくりだ。「瓶詰め後10年を経過していないものは、例外なく3時間前に抜栓してダブル・デキャンタするべき」。この日にサービスされた2014年のクラヴァイヨン、ピュッセル、バタール・モンラッシェ、そして2000年のシュヴァリエ・モンラッシェの全てがそのように準備されていた。

「瓶詰めして15年を経過したものは注意するべきだが、2000年と2001年は今でも早めに開けてデキャンタするべき」。

 

使うグラスもピノ・ノワール用の大きなものがお薦め

使うグラスもピノ・ノワール用の大きなものがお薦め

<シャルドネだけ>

ルフレーヴが所有する自社畑は、現在すべてシャルドネを栽培している。

「曽祖父のジョセフが20世紀前半に始めた頃から、ピュリニー・モンラッシェの畑の面積はほとんど変わらず24haほど」。

特級が5haほどで、1級が約11ha、ヴィラージュ約5ha、残りがレジョナル。それに加えて1991年に0.08haのモンラッシェが加わった。順調に収穫できてようやく1樽分の量となる。そして2004年にはマコンに畑を購入し、2013年にも買い足して今では合計で20haになったようだ。

 

マコンでの畑の拡張については「ピュリニー・モンラッシェは、素晴らしいワインを生むテロワールだと広く知られている。しかし、我々の哲学で取り組めばそれほど知られていない土地であってもその潜在能力を引き出すことができるに違いない、と確信してのこと」。

「10年の蓄積が現れているはず」だとして、共に味見したマコン・ヴェルゼ2014年にも、確かにルフレーヴならではのかっちりとしたタイトさやピュアな側面、若々しさ、芯の強さが感じられた。

 

今後も畑を買い足す予定はあるのか尋ねると、構想はあるようだが、シャルドネしか考えていないという。南ならプイィ・フュイッセ、北ならシャブリ。このあたりに興味がありそうだ。(Y. Nagoshi)

輸入元:ラック・コーポレーション

WANDSメルマガ登録

関連記事

ページ上部へ戻る