「麻井宇介のワイン余話」 余話。その3 伝統産地VS新興産地 〜テロワールは産地の名声を支えられるか〜①②③

余話。その3

伝統産地VS新興産地 〜テロワールは産地の名声を支えられるか〜①

今回は、ワインにおける新世界と旧世界の関係を巨視的に考察すれば、どんな構図が見えてくるかというテーマでお話しします。

まず、その視点をどこにおくのかについて触れておきます。それは二つあります。

ひとつは、「産地はいかに形成されたか」という視点から、伝統産地と新興産地の違いはどこにあるのかを探ってみようと思います。

もう一つは、「テロワールとは何か」を問い直すことです。そして、ワイン産地のアイデンティティは宿命的に定められて在るものなのかどうか、新興産地の台頭とあわせて、今後の展望への手がかりをみつけようということです。

そこで早速、ワイン産地の形成について話を進めていきます。

 

余話。その3

伝統産地VS新興産地 〜テロワールは産地の名声を支えられるか〜②

ここではワインの産地を、発祥の古いイタリア、フランス、スペインなどにみられる伝統的な産地と、近年いちじるしく発展したカリフォルニア、オーストラリア、チリなど後発の産地にわけて、両者を対比しながらワインにおいて「産地」とはいかなる意味を持つかについて述べます。この背景には、最近とみに人気の高まった新世界ワインの品質が伝統産地の銘醸品の名声をおびやかしはじめた事情があります。

ところで、伝統産地と新興産地は歴然と区別されているようで、実のところ本質的な相違はどこにもありません。ただ産地が形成される時期に前後があるだけです。代表的な伝統産地ボルドーもかつては新興産地でありました。メドックについていえば、およそ250年前にようやく体裁が整ったばかりの、フランスでは歴史の最も新しい産地です。そしてそのことは、ここ150年、メドックが銘醸地ボルドーの名声を世界にあまねく知らしめるフラッグシップであり続けた理由と大きく関わっています。

ここで指摘しておきたい事柄は、「伝統」という言葉の中に私たちが感じる「歴史的な時間の長さ」とか「由緒の正しさ」といったものは、伝統を背負ったワインの品質をなにも保証していないということです。

もしこれを意外と思うなら、それは「伝統ある産地」=「銘醸地」という短絡的思考から生じた誤解のせいです。凡庸なワインについては誰も語りません。伝統について語るのは、非凡なワインの造り手です。彼等は、自分達のブドウ畑に営々として受け継がれてきた歴史を、感謝と誇りをこめて語っているにすぎません。その畑によって酒質を語るのは、時の経過が「伝統」という表現を使えるだけの長さになった産地の、いわば常套句修辞法なのです。

伝統産地と新興産地は、その修辞法が使える畑と使えない畑の違いだと考えてもかまいません。どんなに有名な畑でも最初は原野なのです。

 

余話。その3

伝統産地VS新興産地 〜テロワールは産地の名声を支えられるか〜③

ワイン産地はいかに形成されたか。

今日、著名な産地を訪ねると、必ずといってよいほどその土地のブドウ畑の歴史を聞かされます。それはワインの産地が形成されていく歴史そのものだからです。

そうして、いろいろな土地でその地方のワイン産地がどのように発展してきたか、幾度か見聞き重ねているうちに、なんとなく分かってくることがあるんです。それは、産地の個別の史実を捨象したところに浮かんでくる光景といったらよいでしょうか。そんなに難しいことじゃないんです。つまり、歴史的に見るワイン産地の形成は、Vitis viniferaの栽培地がdiffusion(拡散)していく現象そのものなんだということです。

当たり前のことなんですが、これを自覚する前と後では、私自身、ワインづくりについて発想の仕方が変わったような気がします。

それはさておき、現今、人気の高まった南半球のワインは、アメリカのワインも含めてヨーロッパ世界からVitis viniferaが海を越えて拡散したことによって形成された産地という共通項をもっています。

ブドウが遠隔地へ拡散するのは、すべて人間の仕業です。カフカス地方が原産地といわれるVitis viniferaが、有史以前、すでにユーラシア大陸に広く分布していたのはそのせいでありましょう。しかし、大西洋をわたるには大航海時代とそれに続く新世界の発見、征服、入植まで待たなければなりません。

新世界ワインを新しい産地のワインと見るのは、まず第一に、Vitis viniferaの伝播がヨーロッパのワイン産地に比べて格投に遅れていたということがあります。しかし、それだけなら、すでに500年近く経過しているのに、なぜ新興産地といわれなければならないのか、疑問は残ります。

実際、新世界のワイン生産と、それが世界的に注目されるようになるのとは、次元の違う問題なのです。ヨーロッパの伝統産地に対して新世界のワイン産地を「新興」と位置付けるのは、アメリカやイギリスの大都市マーケットで両者が競合関係に入り始めてからであって、それは1980年代以降だといってよいでしょう。

それ以前、新世界のワインは、おそらく伝統産地のつくり手の眼中にはなかったと思います。伝統産地に対して追う者としてあった新世界の産地は、現実的には輸出など殆ど考えていませんでした。地場の土俗的なスタイルのワインを、愛着する嗜好にあわせて守旧的なワインづくりで事足りていたのです。これは醸造技術のレベルが低いために、そのようなワインしかつくれなかったということではありません。

良いワインは良いつくり手の力だけでは生まれません。良い飲み手がいて、それを求めるとき、はじめて良いワインは世に出るのです。新世界のワインにとって、そのような飲み手とめぐり逢えたのが輸出市場でした。以来、新世界のワインは自己主張するワインのつくり手達によって、急速に変貌を遂げたので す。

その時、新世界のブドウ畑に、彼等の意志を表現できるポテンシャルの高いブドウがすでに根を張っていたことは、実に幸運というべきでありました。

ワイン余話 その1、その2もご覧いただけます

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