「麻井宇介のワイン余話」 余話。その4(最終章) 日本のワインづくり 〜変遷と未来像〜①②③

余話。その4

日本のワインづくり 〜変遷と未来像〜①

平成7年から平成8年にかけて、日本人の飲むお酒の中で、ウイスキーとワインの消費量が逆転しました。

これは昭和50年にワインが甘味ブドウ酒の数量を追い抜いた以上に注目すべきことだと思います。日本の洋酒産業は明治維新とともに呱々(ここ)の声をあげ、第二次世界大戦に敗れるまで、およそ半世紀を支えたのは甘味ブドウ酒でした。

その後、洋酒業界が飛躍的に伸張した次の半世紀を先頭に立って走ったのはウイスキーでした。そしていま、そのバトンはワインに渡されたかに見えます。少なくとも消費数量ではワインが主役となって行くに違いありません。ただ、かつての主役たちとことなるのは甘味ブドウ酒もウイスキーも国産洋酒であったのに、ワインはそうではないということです。すでに消費の過半数を輸入壜詰ワインが占めています。

いや、そればかりではありません。日本のワインづくりは、必要とする原料ブドウを国内ですべて調達することが不可能な状態にあります。

原料不足の問題にはさまざまな要因があって、慎重に考察しなければなりませんが、まず第一に挙げられるのは、日本のブドウ農業のあり方です。その細部については、あとでお話することとして、もう一つ重要だと思われることに、国産ワインの市場を発展させてきた大手各社が、原料ブドウは産地から買い付けるもので、自社で栽培するものとは考えていなかったという事情があります。これは清酒が酒造米を業者から購入するのと同じ発想です。日本の醸造業は原料となる農産物が蔵へ搬入されたところから仕事がはじまったのです。酒に限らず味噌も醤油も油も酢もみなそうでした。

なぜか。ひとつには農産物の用途が醸造に限定されていなかったからです。ブドウについて申しますと、主たる仕向先は生食用で、ワイン原料としては、その一部を用途変更するに過ぎなかったのです。あえて極論すれば、日本のブドウ農業は、ごく近年までワインを眼中にいれていませんでした。それなのに、日本のワイン醸造はそのブドウをあてにして、自らが栽培に取り組むことには極めて消極的でした。これを農地取得を厳しく制限した農地法にはばまれたからだというのは、いいわけに過ぎません。

 

 

日本のワイン づくり 〜変遷と未来像〜②

ヨーロッパのワイン産地に広がるブドウ畑は、すべてワインの原料とするために栽培しているものです。収穫したブドウの品質が良いか悪いかは、すぐれたワインとなるか凡庸なものにとどまるかを意味します。栽培技術の目標もここになければなりません。

しかし、実際はブドウ農業の収益性を優先させる経営が行われ、当然のことながら、ブドウの単価と収量の積がより大きくなる方向へ、栽培者は常に気を配ります。この場合、経営面積が十分に大きければ、労働コストの低減を、小さければ労力を注入して高付加価値を追求することになります。

日本のブドウ農業が欧米と違ってワイン醸造用に専業化しなかった大きな理由は、本来、ブドウは日本人にとって食べるものであり、それに加えて醸造用の単価は生食用より安いのが当たり前だったからです。

そこで日本には「生食兼用品種」なるものが生まれます。その代表ともいうべきブドウが「マスカット・べーリーA」でした。

この品種の誕生物語は、川上善兵衛がワインづくりを志して500種に及ぶ海外の品種を収集し、自宅のあった越後高田近傍高士村で栽培を試み、ことごとく失敗するところから始まります。彼はその失敗を日本の自然環境がブドウにあっていないからだと結論し、以後、品種交配によってこの難関を越えようとしました。当時、欧米ではメンデルの遺伝の法則が果樹の品種改良に応用されていて、それを知った川上善兵衛は一途に突き進んだんですね。それが大正11年、ブドウの花が咲く6月からです。

以後、20年間に1万株余を育種し、その中から、いわゆる川上品種22種を選抜して公開します。それは昭和15年のことですが、その中に「マスカット・べーリーA」の名が入っています。なぜ「A」なのかといいますと、もうひとつ「B」があるからです。

昭和30年代前半、私が山形県下で甘味ブドウ酒の原料に使う赤ワインを仕込んでいた時には、「マスカット・べーリーB」がまだ栽培されていました。

その頃、山形のブドウ農家は川上品種を命名された名前で呼ばず、交配番号で呼んでいました。例えば「マスカット・べーリーA」は3986、「ブラック・クイーン」は4131です。残りの20種は、もう殆ど消滅してしまいました。

その中で、私が仕込んだことのある品種は、山梨県下で「べリー・アリカントA」(55)、「ローズ・シオター」(4192)、長野県下で「レッド・ミルレンニウム」(6421)しかありません。川上善兵衛の生涯をかけた苦闘を思うと、何とも空しい気持ちになります。

 

 

余話。その4

日本のワインづくり 〜変遷と未来像〜③

話しを本題に戻します。

日本ではワインを目的としたブドウ農業は成立しないのだろうか。現実にはそれがうまく行かないで、国産ワインは原料の不足した状態が続いています。

うまく行かない理由として語られてきたのは、すでに挙げた二つの事柄です。一つは醸造に適したヨーロッパ系ブドウが日本の自然条件にうまく適応しない。もう一つは、農業経常上、有利な作目となっていない。

もしこれが本当に真実なら、日本でワインをつくること自体が無謀であり、敢えて行っている現状は趣味的行為だと言わねばなりません。まず、実態を見ておきましょう。

農林水産省農産園芸局果樹花き課が行っている「果樹栽培状況等調査」をもとに、ワイン原料に仕向けられるブドウの動向をマクロに押さえると、おおよそ次のようにモデル化できます。

国産ブドウ仕込総量  1万5000~2万トン/年

内、醸造専用品種    5000トン/年前後

生食兼用品種   1万~1万5000トン/年

醸造専用品種はワイナリーが自園で栽培するもの、および契約栽培するもので、生食兼用品種やラブルスカ系ブドウは除外しています。具体的には、シャルドネ、メルローなどのヨーロッパ系品種とセイベル氏によって醸造を目的に交配された品種を指します。

これに対し、生食兼用品種は、コンコード、ナイアガラ、甲州など、現在は大部分が醸造に仕向けられていても、かつて生食兼用であり、今日もなお生食用ブドウの栽培技術のもとで生産されているものをすべて含みます。

この数量が年によって変動するのは、作柄の豊凶、収穫時の品質、生食用市場の相場などに影響されて、醸造向けの数量が著しく増減するからです。なお、主要品種の甲州をみると取引数量は1980年前後に1万トンを記録していましたが、現在は6000トン程度にまで減少しています。これは山梨県のブドウ農業の構造的な要因によるもので、ここでは触れずにおきます。

なぜなら、日本のワインづくりについて語るべき主題は、醸造専用品種が現状で5000トン、これは栽培面積約1000haのブドウ畑から収穫されているのですが、その5000トンがどのような変遷の結果としてあるのか、そしてその将来はどう展望できるのかというところにあるからです。これは川上善兵衛が全否定してしまった領域で綴られてきた物語なんです。

ワイン余話 その1、その2、その3は、こちらからご覧いただけます。

 

 

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