「麻井宇介のワイン余話」 余話。その4(最終章) 日本のワインづくり 〜変遷と未来像〜 ⑮⑯⑰

余話。その4

日本のワインづくり 〜変遷と未来像〜⑮

ここでもう一度、川上善兵衛の話に戻ります。彼はブドウの仕立て方についてどんな見解を持っていたのか、福羽が川上を批判した明治41年の段階で探ってみます。『葡萄提要』によると、川上は仕立て方以前に短梢剪定によるのか長梢剪定によるのか、これをまず決定することだと言うんです。

くどいかも知れませんが、短梢剪定と長梢剪定の説明を念のためちょっと入れます。秋、葉が落ちたあとのブドウの木を見ますと、こまかい枝が隙間なくボサボサに伸びています。ブドウの若い枝には竹と同じように節(ふし)があって、そこに芽がついているんです。次の春、その芽から新しい蔓が伸びて若葉や花をつけます。これを新梢と呼んでいます。

「梢」は木の先端を意味しますが、やがてそれは「枝」となるわけですから「梢」にこだわらず「枝」と思ってください。剪定という仕事は冬の間に余分の枝を切り落とす作業をいいますが、もしこれをやらなかったとすると新梢が茂りすぎて健全な生育ができません。果実もならなくなってしまいます。剪定は新梢となる芽の数をコントロールし、あわせて果実の成熟に好ましい樹型に仕立て上げていく意味をもっています。

この剪定で切り落とす枝と残す枝をどのように仕分けるか、その方法に短梢剪定と長梢剪定の区別があるというわけです。梢は枝と読み替えてください。短梢は短い枝のこと、すなわち節の数を通常は2節、ということは2芽を残して枝先を切断した状態をいいます。長梢は長い枝を残すことで一般的には6芽以上ついているものをいいます。

ところで剪定は1株のブドウに最適な芽を残して余分な芽は枝と一緒におろしてしまうのですから、短梢剪定は残す枝の数は多く、長梢剪定は残す枝の数は少ないことになります。これは密植、疎植の話とは無関係ですので混同しないでください。具体的に申しますと、垣根式栽培法で最も広く行われている二つの方法は、コルドンが短梢剪定、ギヨは長梢剪定とわかれます。棚造りの場合、山梨県を中心に東日本で広く行われているX型は長梢剪定、岡山を中心に西日本で一般的な一文字は短梢剪定です。

 

さて川上善兵衛は仕立て方より先に剪定方法のいずれを選ぶかが重要だと申しました。しかし、それは栽培するブドウの品種によって判断を誤らないようにという指摘なのです。その上で彼自身が明治40年の時点で最も力を入れているのはホーイブレン氏仕立法だと述べています。これは長梢剪定です。というのもこれがギヨ整枝法の改良型と称するものだからで、この方法は学農社を主宰した津田仙が、明治6年、ウィーン万国博覧会参加の機会に技術伝習生として師事したホーイブレンから学んだ西欧の新しい農業技術の一つでした。

これを紹介した津田の『農業三事』(1874)は大きな話題となり、それが30年以上たってもまだ川上善兵衛に作用し続けていたんですね。泰西農業の消息通として津田の存在はそれほど大きかったということでしょうか。結果母枝を地面へ向かって俯角に誘引するその特異な方法は、いまではまったく顧みる者がありません。

それはさておき、研究熱心な川上善兵衛はいろいろな仕立法を試みつつ、ブドウ品種の伸びる勢い、彼は「長育力」と表現していますが、いまでいえば徒長性ですね、それに逆らわず棚造りの必然性を認めています。

それを要約すると、ヴィニフェラは棚仕立てでは好結果が得られず、樹性の強健なラブルスカや甲州は棚仕立てが好結果を得るとしています。甲州を株仕立てにしたものは「其収穫を望むこと能はず」と断言し、祝村(現勝沼町)にはたった2本で3反歩の面積を蔽っているものがあると述べています。つまり川上にとってワイン醸造の観点から密植か疎植かを問題にする意識は全然なかっただけでなく、株仕立て、垣根仕立て、棚仕立ての関係はブドウ品種に内在する「長育力」の違いに対応する一連の方式として認識されていたんです。

その棚仕立てについて川上は、棚幅5尺ごとに3尺の空隙をおく架設法を提案しています。それでないと棚面に枝葉が繁茂して日光の透射と空気の流通を遮断し病害に侵されやすく、果実の成熟も不充分となるからだというのです。そして棚造りするブドウは病害に強い品種を選ばねばいけない、言いかえますと棚は垣根より病気になりやすいと指摘しているんですね。

それは後になって私たちが教えられたことと正反対です。ブドウ畑の実地観察をもとにした発言がどうしてゆがめられてしまったのか不思議でなりません。

 

 

余話。その4

日本のワインづくり 〜変遷と未来像〜⑯

川上善兵衛はヨーロッパ系品種のワインが良質であることを認めながら、「長育力」に劣り、収量も少ないという理由で、彼の構想する地場ブドウ農業に採用すべき品種ではないと判断しているんです。また、岩の原葡萄園が株仕立てや垣根仕立てを試みながら、最終的には全園棚仕立てとなったのは、植栽するブドウに「長育力」の旺盛な品種を選抜していったからであって、垣根仕立てそのものが日本の風土条件に適していないと結論しているわけではりません。

ですから、彼の研究の集大成である『葡萄全書』には、「醸造用の果実は生食用のものよりも一層光線の透射及地面の反射熱を受けしむ可き必要大なるを以て棚造りは不適当なり」との指摘さえあるんです。

一方、ヨーロッパ系ブドウは日本のような湿潤な気候条件では病害を受けやすく、夏乾型気候でなければ良好な果実を収穫できないという説が根強くあります。これが棚造りと奇妙な結合をして、湿潤な風土でのブドウ栽培は棚仕立てでなければ成功しないのだという盲信が生まれました。

そもそもヨーロッパ系ブドウがベト病やウドンコ病に弱く、多湿な日本では栽培に適していないと最初に唱えたのは福羽逸人です。これは播州葡萄園の経験に基づく実感を述べたものだと思います。こういう主張は当然なんです。ヨーロッパのブドウ畑に壊滅的打撃を与えたのはフィロキセラばかりではなく、これらのアメリカ大陸から持ち込まれた病原菌もまた猛威をふるったんです。ボルドー液はその対策として1885年に創製され、日本では1900年代になってから普及します。

播州葡萄園はアメリカ系ブドウもヨーロッパ系ブドウも差別なく導入しましたから、新大陸の風土病に対する抵抗性の差は歴然と現れたでしょう。しかもその時はまだ防除の方法がなかったんです。そういう場面からの発言であることを知っておくべきですね。地中海性気候の産地と比較して雨が多いのは日本のブドウ栽培の宿命です。そのために病気が発生しやすく、だから日本ではヨーロッパ系ブドウの栽培はうまくいかない。これは努力しようとしない人たちの発想だと思います。この論法で行けば、ヨーロッパでもブルゴーニュやシャンパーニュ、そしてライン、モーゼルなどの銘醸地は生まれなかったでしょう。これらの地域を恵まれた産地とみるのは間違いです。凄いワインを生み出した人たちがいたので、そこを恵まれた風土と思いこんでいるのですね。

 

 

余話。その4

日本のワインづくり 〜変遷と未来像〜⑰

ワイン醸造を目的にヨーロッパからたくさんの品種が導入されてからすでに100年をこえる歳月が過ぎました。その間、栽培上のさまざまな試行錯誤があり、ブドウ農業やワイン醸造をとりまく社会的な環境にも大きな変化が次々に起こりました。

ワイン醸造が目指す目標も殖産興業期の「清酒に代わる国民酒」から「甘味ブドウ酒の基酒」そして「食文化の洋風化にふさわしい食卓酒」となり、ようやく世界の銘醸ワインに伍す日本ワインを標榜するところまでどうやらたどりつこうとしています。その最後のところでいまだに多くの人たちを呪縛している「宿命的風土論」はいったいどんな権威に支えられているのでしょうか。多分それはこれまで述べてきた先人の足跡を拾遺して幾つかの言説を合成した結果、すぐれた細部の上に大きな誤謬がのっかってしまったのだと思います。

その一つは私たちの世代が多くのことを学んだ名著『葡萄栽培法』(太田敏輝、1952)です。

著者はここで棚仕立てが日本の自然条件に最も適合した仕立法であると断定し、その理由を欧米で株仕立てや垣根仕立てが行われるのは、生育期に降雨少なく空気が乾燥していて枝の充実が良く風害が少ないからであり、棚仕立ては風害に強く、夏季高温で降雨の多い日本ではブドウが伸長旺盛で大木になりやすいために適しており、また高温多湿で発生する病害は株仕立て、垣根仕立てのように地上に近い部位にとくに多いので棚仕立ての方がよいと述べています。さらに密植は病害虫の被害が多くなり、徒長枝の発生が多く、果実に品質が悪く樹命も短命だとして否定しています。これは非常に誤解を生じやすい記述で、彼はこの立場を棚仕立ての密植に限って述べているのですが、それは明記していません。

太田は川上善兵衛の業績に触れてこんなことを書いています。

「川上氏は生涯を葡萄の研究に捧げ、幾多の辛苦を重ね、直輸入の欧州種は日本の多湿の気候下では栽培不可能なるを察知し、昭和2年より品種改良に着手せられマスカット・ベーリーA、ブラック・クイーン他数品種の有望新品種の作出に成功せられた。(中略)。その他最近に至るまで各地で欧州種の栽培を試みた者は多いが、我が国の気候風土が欧州種の栽培に不適のため殆ど失敗に終わっている」

これではヨーロッパ系品種をワイン用に栽培しようとする人はいなくなります。事実、栽培の専門家になればなるほど否定的な態度になってしまいました。

もう一つ、次の本は直接的にも間接的にもワイン醸造家に対して太田敏輝の『葡萄栽培法』よりはるかに強く作用したであろうと思われます。なぜなら、東京国税局鑑定官室が日本のワイン醸造法の確立を目指して編纂した『最新葡萄酒醸造法講義』(1954)だからです。そこにこう書いてあるのです。

「我国の現在迄の栽培状況を見ると、甲州種を唯一の欧州系栽培葡萄とする以外に、他の優良葡萄果であるヴィニフェラ種の経済的大栽培に成功しておらず、殆ど大部分の栽培が米国系葡萄にたよっている。これは我国の気候的特性である多湿と季節風の影響とが、多湿に弱いヴィニフェラ種の栽培を不可能としているのに反し、アメリカ大陸の多湿帯に発生、発達した強健なラブルスカ種の適地性に依存しているわけでもある」

ワイン余話 その1、その2、その3は、こちらからご覧いただけます。

WANDSメルマガ登録

関連記事

ページ上部へ戻る