アルゼンチンワイン特集/トラピチェの進取の気象とウコ・ヴァレーのマルベック

久しぶりに醸造責任者ダニエル・ピに会うことができた。ラッキーだった。

「ほんのちょっと前まで、2014年産イスカイのファイナル・ブレンドのテイスティングをしていたんだ。だからほら、歯茎も舌も黒いだろう」と、大きな体躯のダニエルが笑いながら地下のテイスティングルームにやってきた。

 

ダニエルはトラピチェだけでなくグルポ・ペニャフロールの醸造責任者なので、いつでも大忙しだ。メンドーサ、サルタ、サンフアン、そして近年はブエノスアイレスの南に拓いたマル・デル・プラタまで出かけているようで、なかなか会うことができなかった。

 

ボデガス・トラピチェはプレミアムワインを専門に造るワイナリーとして誕生した。トラピチェは、設立当初から輸出市場を意識したファインワイン造りに取り組んだ。力強い国内消費に支えられ、コモンワインを大量に造りブエノスアイレスへ供給することで繁栄したメンドーサワイン産業だったが、1980年代になるとアルゼンチンではビールや清涼飲料の消費が増え、その分だけワイン消費量が減少しはじめた。1990年代になるとメンドーサに外国資本が参入してファインワインを造りはじめ、地元のワイナリーも栽培と醸造を見直すようになった。当時、トラピチェの社長を務めたカルロス・プレンタは、「ワインを輸出しなければならない。さもなくばメンドーサのワイン産業が死滅してしまう」と語っている。

 

トラピチェはクリオジャやペドロ・ヒメネスの畑をカベルネ・ソーヴィニヨン、マルベックに植え変え、冷涼なトゥプンガトにシャルドネの畑を開墾した。樹の仕立て方は棚から垣根に変わり、灌漑は畝間に大量の水を流す方式からドリップ式灌漑へと転換した。いまではウコ・ヴァレーの名で世界的に知られている冷涼地だが、当時は誰もがトゥプンガトと呼び、新しいブドウ樹が年々歳々、アンデスの扇状地を扇の要へと上って行った。わずか20年前のことである。

 

醸造設備も様変わりした。温度制御のできるステンレス・スティールタンクが並び、フランス産とアメリカ産のオーク小樽がワインの発酵と熟成用に購入された。ペニャフロールの広大なボデガの一角に、当時の最新設備をそろえたトラピチェ専用ワイナリーがあったことを覚えている。

 

そして2006年、ペニャフロール醸造所の隣にあった1912年建造の石造りの建物を購入した。これはかつてボデガとして建てられたものだが、ワイン消費の激減で休業を強いられ、ながらく放置されていたものだった。トラピチェは2年間かけてこの建物を修復・改装し、2008年にここに移転した。

 

新装されたボデガは古き佳き時代のメンドーサの姿をあちこちにとどめているので、連日、たくさんの訪問客で賑わっている。がっしりしたレンガ造りの建物の傍には鉄道の線路がある。大量消費時代にワインをブエノスアイレスまで輸送した貨物列車の引込み線の名残である。200hℓ容量のセメントタンクの内部に温度調節器を取り付け、上部にステンレス製の蓋を設えて使うことにした。メンドーサの4月は急に気温の下がる日がある。そんな時、ステンレスタンクで醸しているととても神経質になるが、セメントタンクなら大丈夫という安心感があるとエノロゴから聞いた。

 

ワインの試飲の準備をしながらダニエルが「オークカスク」について語りはじめた。オークカスクが初めてブランド名に採用されたのは、1980年代の終わり頃だったと思う。当時、オークカスクで発酵したり熟成したりするボデガはまだ少なかった。だからオークカスクという名前にはとても先進的な響きがあった。それで、オークカスクをブランド名に採用したのだった。でもいまは、オークカスクに当時のようなインパクトはない。メンドーサだけでなく世界中のワイン産地で、オークカスクよりブドウの品質が優先されているからだ。

 

いま、土地柄とブドウの個性をていねいにワインに反映することがエノロゴに求められている。だからオークカスクの使用は醸造工程の主から従へと変わり、「私がシャルドネを造る時のオーク樽の使い方は、シャブリのようになるべく控えめにしたい」と、ダニエルは言う。しっかり熟したブドウが収穫できれば、ほとんどオーク樽の助けを借りなくてもよい。オークカスクの使用をずっと控えたシャルドネは、カナダ、スカンジナビア諸国、イギリスなどでよく売れている。

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