特集・日本ワイン/シャトー・メルシャン 桔梗ヶ原メルローの30年

屹立する槍と穂高。北アルプス連峰の東に広がる松本盆地の南端に位置する桔梗ヶ原。JR中央本線と篠ノ井線の合流する塩尻駅の西方2kmにシャトー・メルシャン桔梗ヶ原メルローの畑がある。

奈良井川とその支流・田川に挟まれた一帯は広く平坦な河岸段丘を形成しており、古くから桔梗ヶ原と呼ばれてきた。川の運んだ礫層に黄褐色火山灰が降り積もった土壌で、そこには一筋の川もない。さらに冬の寒さがこの上なく厳しいので、桔梗ヶ原は長らく寒冷不毛の地とみなされていた。この地が初めて開墾されたのは明治になってから。ソバやトウモロコシを育てたのが始まりだ。ブドウが初めて栽培されたのは1890年(明治23年)。生食用のブドウから加工用に変わったのは昭和ひとケタの頃。以来、桔梗ヶ原はワイン消費の流れが変わるたびにその余波をまともに受けてきた。

第二次大戦後、甘味果実酒の全盛期には500haものブドウ畑が出現し日本最大の加工用ブドウの産地になった。日本最大の産地でありながら桔梗ヶ原の知名度が上がらなかったのは、「大黒」「蜂」「赤玉」といった商標の陰に産地名が隠れてしまい桔梗ヶ原は原料供給基地の意味合いしかなかったからだ。

1960年代から徐々に甘味果実酒の需要が減少する。栽培農家はコンコード、ナイアガラからデラウエアへと改植して生食市場へ出荷したり、果汁飲料メーカーに販売したりして息を繋いだ。しかし、加速度的に進行する甘味果実酒の消費減退には抗しきれず、櫛の歯が欠けるように栽培者が減っていった。

1975年、メルシャンは桔梗ヶ原におけるブドウ栽培方針の一大転換を決めた。翌年1月、浅井昭吾が大黒葡萄生産出荷組合のメンバーを集めて訴えた。

「これからはテーブルワインの時代です。それには醸造専用品種が必要です。林農園さんがさまざまな品種の実験栽培を繰り返した結果、桔梗ヶ原にはメルローが最も適していると言っています。みなさんの畑もメルローに改植してください。メルロー栽培の目途が立つまでは私たちがコンコードを買い支えますから」。これが桔梗ヶ原メルローの出発点だった。(K. B.)

「シャトー・メルシャン 桔梗ヶ原メルローの30年(後編)」はこちら

WANDS本誌の購読はこちらから

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ページ上部へ戻る