シトー派修道院の歴史を繋ぐ、オーストリア、カンプタルの「シュロス・ゴベルスブルク」

オーストリアのドナウ川流域の美しい渓谷には、葡萄畑が広がっている。そのワイン産地のひとつカンプタルで、1995年までシトー派修道士がワイン造りを続けてきた修道院「シュロス・ゴベルスブルク」がある。それをモスブルッカー家が引き継いだ。その歴史と現状を、来日した当主のミヒャエル・モスブルッカー氏に聞いた(輸入元:AWA)。

モスブルッカー家は、オーストリア西部の出身で、スキーの高級リゾート地の実業家だが、ワイン造りへの興味が尽きず、カンプタルへ移ってきた。それは、850年もの歴史を紡いできたゴベルスブルクの伝統を守りたい、という強い意志があったからだ。

モスブルッカー氏は、オーストリアワインの発展期は2つあるという。ひとつはローマ帝国発展の際、ワイン造りの北端がオーストリアであった時期。もうひとつが、中世に修道院で修道士がワイン造りを発展させた時代。特に重要なのは、中世の僧侶は読み書きができ、学術的にワイン造りを伝え、実践し続けられたこと。僧侶は、どの品種をどこに植えればよく育つのかがわかっていた。

その後、フランス革命が変換点となる。フランスやドイツなどは一般の人々がワイン造りをし始めたが、オーストリアでは僧侶がそのまま造りを続けた。当時の皇帝がカトリックの信者だったため、病院や老人ホームなど社会的基盤の福祉を担う役割を、そのまま修道院に担わせ、ワイン造りも同様だった。

このような背景から、シトー派修道士がゴベルスブルクでワイン造りを続けてきた。ところが、近年では「僧侶」は憧れの職業ではなくなり、担い手が減少し、この歴史を受け継ぐ後継者が乏しい。そこでモスブルッカー家が60年間のリース契約に手を挙げたのだ。

館の周辺に10か所畑を所有。シトー派修道院の伝統的な造りを踏襲した「トラディション」には畑名はつけていないが、基本的に単一畑に特化している。畑名はすべてエアステラーゲ(カンプタル、クレムスタル、トライゼンタル、ヴァグラム地区で1992年に畑のクラス分けをした。エアステラーゲは1級畑に相当し、現在62か所、全体の作付け面積の15%が格付け)。

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