レポート/岩の原葡萄園 マスカット・ベーリーA誕生90年

川上善兵衛ゆかりの地でテロワールを反映し品種のポテンシャルを最大限引き出すワイン造りを進める

 

日本ワインを代表する白葡萄品種が甲州種であるとするなら、黒葡萄を代表する品種がマスカット・ベーリーAであることは何人も異論がないだろう。マスカット・ベーリーAは2013年6月、OIV(国際ブドウ・ワイン機構)に甲州に次いで2品種目、赤品種としては初めて登録された。いまや国際的に認知された品種だ。ワイン原料用国産生ぶどうの品種別受入数量(2014年)では、3074トン、国産生ぶどう全体に占めるシェアは15.2%と、甲州種に次いで2番目に多い。また、現在この品種を栽培しているのは、新潟県や山梨、山形にとどまらず東北地方から九州地方までほぼ全国各地へと広がっている。

マスカット・ベーリーAは1927年、“日本のワイン用ブドウの父”といわれる川上善兵衛により交雑によって開発された日本の固有品種であり、今年、2017年は誕生からちょうど90周年を迎えた。この品種が100年近い歳月を経てこれだけの広がりを見せている背景には、高温多湿、地域によっては雪害や台風など日本特有の風土のなかでも力強く生き延びる生命力を有し、それと同時に、ワインにしたときに多くの飲み手が美味しいと感じる潜在力を秘めていたからだろう。

マスカット・ベーリーAの故郷である岩の葡萄園を雪深い2月に再訪し、この品種のこれまでの進化の軌跡と将来像を取材した。

 

川上善兵衛が岩の原葡萄園を興したのは明治23年(1890年)。現存するワイナリーとしては日本でもっとも古いものの一つ。

岩の原葡萄園は新潟県上越市、海に向かって開けた頸城(くびき)平野の南東端に位置し、ワイナリーの背後に控える三墓山(みはかやま)の北斜面の傾斜地を利用して畑が広がっている。善兵衛ゆかりのこのワイナリーは、ワイン愛好家なら一度は訪れてみるべき価値があるが、2年前に北陸新幹線が開業したおかげで、東京からのアクセスは格段に良くなった。最寄り駅の上越妙高までは乗り換え無しでほぼ2時間、そこから車で20分のところにワイナリーがある。日帰りも十分可能だ。

上越市の農地における水稲栽培率は93.7%といわれ、ワイナリーとブドウ畑の前に広がる平地には広々とした水田が広がっている。日本有数の米どころのひとつだ。

ブドウ栽培といえば、通常は標高が高く冷涼で、雨が少なく、昼夜の寒暖差が大きいところが適地とされている。しかし、ここ岩の原の標高は80~130mと決して高くはない。海に近く海洋性気候の影響を受け、寒暖差もそれほど大きくはない。年間平均気温や、成育期における日照時間はボルドーや山梨とそれほど大きな差がないが、特徴は年間平均降水量が2755mmと飛び抜けて多いことだ。この値は甲府の2.4倍、ボルドーの2.8倍に相当する。この地は昔から豪雪地帯として知られ、冬には2m、3mの雪が積もることも珍しくない。雪との戦いはこの地におけるブドウ栽培の永遠のテーマの一つだが、ブドウの成育期の春、夏、秋を通して雨が多いこともブドウ栽培の苦労を強いている。

しかし、岩の原の有利な点はその土壌にある。周辺の水田地帯は粘土質なのに、岩の原は名前の通りの礫岩質。ブドウ畑には直径10cmほどの安山岩と、それより小さな砂岩が多く、水はけに優れている。

何故、岩の原でブドウ栽培を?

川上善兵衛は明治元年にこの地一帯の大地主の家柄に生まれたが、若くして父が他界し家業を継いだ。そして、23歳のときに「岩の原葡萄園」を興した。

何故、この地でブドウ栽培を始めることになったのか。その理由のひとつは、15歳のときに赤坂氷川町の勝海舟邸を訪れ、その折にワインの美味しさに惹かれたという。しかし、自ら葡萄栽培に乗り出す一番大きな理由は殖産興業、農民救済という大きな目的があったからだ。今でこそ米どころといわれる頸城平野だが、かつては沼沢地が多く、河川が氾濫しやすく雪も多い。“三年一作”と表現されるように米が満足にできない土地柄だった。そうした環境のなかでいかにして農民の困窮を救うか。その手段として、米田をつぶすこと無く荒れた土地でも栽培ができ、しかも冬場の雇用を確保できる作物として葡萄に目をつけたのだという。(以下、略) (M. Yoshino)

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画像:2013年のOIV登録の際に利用されたマスカット・ベーリーAの基準木。雪の重さに耐えるべく、交叉式のX字で仕立てられたこの樹の樹齢は70年。DNA分析から始まり、50項目以上にわたり形態学的特徴がチェックされた

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