ワインコンサルタント歴35年増子敬公が日本ワインに思うこと

昨今の日本ワインを取り巻く状況は生産も消費も熱狂的なブームの様相を呈しているように見える。外国の品評会で賞を取った人気の赤ワインはすぐに品切れ。「日本ワイン」なら多少高くても、時にはまずくても目をつぶって買ってくれる。極端な話、ブドウさえあれば造っただけ売れる状態だ。そういうわけで全国いたるところにブドウ畑が拓かれ新しいワイナリーが次々と出現している。

 

日本ワインの醸造コンサルタント歴35 年。この分野の草分けともいえる増子敬公に、日本ワインの醸造コンサルタントの苦労と、今日ただいまの日本ワインを取り巻く状況への思いを聞いた。

 

増子は1950 年生まれ。東京農大・醸造学部を卒業したあと国税庁醸造試験所を経て、山梨県のワイナリーに7 年間勤務した。その後、栃木県足利市に戻り、家業の清涼飲料製造業マルキョーを継ぐ。そのころ地元・足利でブドウ栽培をしてきたココ・ファームがワイン製造に乗り出すことになり、1982 年、増子はこのワイン造りに関わることになる。こうして増子の永いワインコンサルタント業がスタートする。

 

1984 年にワイン製造免許を取得したココ・ファーム・ワイナリーは、翌年に小林敦子を採用し、その翌年にはブルース・ガットラヴがやってきた。

「階段下の分析室で、3 人で試醸ワインを飲みながら喧々囂々やっていました」と、増子は当時を懐かしげに振り返る。

 

1986 年には山形・高畠ワイナリー設立の話が持ち上がり、ココ・ファーム・ワイナリーのコンサルティングをしながらこれにも加わる。1989 年には自ら「有限会社ワインメーカー」を設立して、ワインメイキング・コンサルティングと家業・清涼飲料製造業の二足の草鞋を履くことになった。

 

それから、都農(宮崎県)、奥出雲(島根県)、酒折(山梨県)、白山やまぶどうワイン(福井県)、山崎、宝水、奥尻(北海道)などのワイン造りに関わる。増子の仕事は醸造のコンサルティングに留まらない。栽植ブドウ品種の選定はもとより、醸造所の建築や醸造機器の採択にまで及んだ。

 

だから、「小さいころ秋の収穫期から仕込みの時期にかけて父が家にいた記憶がありません」と、長女の春香が語る。その春香は増子のあとを追うように東京農大で醸造学を学び、父のコンサルタント業務に同行するようになる。

 

2012 年、増子は春香とともについに自前のワイナリー「Cfa バックヤード・ワイナリー」を設立する。清涼飲料工場のバックヤードに建てたものだ。

「ちょうどそのころ(2012 年ごろ)ブルースさんが北海道で10R ワイナリーを、敦子さんがオーストラリアで自分のワイナリー、スモールフォレストを始めています。人生って不思議だなあって思うね」と、増子はココ・ファーム・ワイナリーの草創期に一緒に働いた三人が同じ時期に独立したことを感慨深げに語る。

つづきはウォンズ2017年3月号をご覧ください。ウォンズのご購入・ご購読はこちらから

画像:増子のお勧め樹脂製エッグタンクと娘の春香

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ページ上部へ戻る