甲州種を考える/酒類総合研究所理事長 後藤奈美博士に聞く

日本を代表する固有品種「甲州」の発祥については、奈良時代の高僧行基が発見したという大善寺説(718 年)と、発見者は勝沼の雨宮勘解由とする説(1186年)があるが、少なくとも1000 年近い昔から日本で栽培され続けてきたことは間違いない。しかし、ヴィニフェラだ、いや竜眼の実生だと諸説いろいろあった甲州のブドウ分類学上の立ち位置や、ヴィニフェラの遺伝的形質を受け継いだこのブドウがどのようにして遠く離れた日本に渡来し広く栽培されるようになったのかについては長い間の謎だった。DNA 解析という科学の目を通して、甲州ブドウのルーツの謎に光が当てられたのはわずか4年前のことだ。

独立行政法人酒類総合研究所の後藤奈美博士が発表した論文の骨子についてはすでに小誌2014年3月号で紹介した。今号では、同研究所理事長の要職にあり、また永年にわたりJapan Wine Competition の審査委員を務め現在は審査委員長として活躍しておられる後藤先生にあらためてインタビューし、甲州ブドウの成り立ちと醸造用品種としてのポテンシャルについてお話しを伺った。

 

甲州種のルーツについて

2013年11月に日本ブドウ・ワイン学会(ASEV Japan)で発表した研究結果の骨子は次のとおりである。

① 核DNA のSNPs(Single Nucleotide Polymorphism、一塩基多型)解析の結果、甲州の遺伝子はヴィニフェラの近くにいるが、やや野生種寄りの位置にあることが分かった。計算によると、ヴィニフェラが71.5%、残りが野生種なる。したがって、甲州はヴィニフェラと野生種が交雑したものが、さらにもう一度ヴィニフェラと交配して誕生した品種である可能性が高い。

しかしこれは一番シンプルな想定モデルであって、実際にはもっと複雑なプロセスが起きている可能性も否定できない。また、71.5%というヴィニフェラの遺伝子比率については、計算上そうなるということで、100%でもないし、かといって50%ほど低くもない、甲州はそんなところに位置していると理解していただければ良いだろう。

OIV へは当初「V. vinifera」として登録申請を行ったが、OIV 内部でも、DNA 解析のデータや枝の付け根の小さなトゲの存在などから100%ヴィニフェラであることへの疑問があったようだ。結果、(後藤論文発表前の)2010年6月に品種登録された際には、「V. vinifera」との種名はなく、単に「Koshu」という品種名が記載されることになった。

② 母親(胚珠親) から遺伝する葉緑体DNAの部分的な配列を調べたところ、甲州のDNA は中国のVitis davidii(ヴィティス・ダヴィディ)の一系統に最も近かった。甲州の1/4が野生種という計算が正しければ、このダヴィディが“母方の祖母” にあたる。ダヴィディは枝にトゲのある野生ブドウで、甲州にも枝の付け根に小さなトゲがある。ダヴィディは中国では刺葡萄と呼ばれて現在でも栽培されているようだ。日本では小石川植物園にこのトゲブドウが1本保存されている。

トゲブドウと交雑したヴィニフェラのブドウ品種が何であるのか。その品種がいまも残っているのであれば調べようもあるのだろうが、いまの段階でそれを特定することは大変難しい。ただし、ダヴィディをはじめ、野生ブドウは基本的に黒なので、これと交雑した父方のヴィニフェラは白品種である可能性が高いのではないだろうか。黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス地方で誕生したヴィニフェラはヨーロッパ系と、中東~シルクロードを経てアジアに広がった東洋系とにわかれる。東洋系ヴィニフェラはヨーロッパ系と異なり主に食用として栽培されてきたので、同じヴィニフェラとはいえ、いまのヨーロッパ系ヴィニフェラとは性状が異なる品種が甲州の父方となったと考えられる。また、トゲブドウと最初に交雑したヴィニフェラと、それがさらに交雑した2番目のヴィニフェラは全く違う品種であることも可能性は高い。

 

どうやって日本に伝播したか

日本にはもともとヴィニフェラは存在しないので、甲州種誕生までの交雑は中国で行われたと考えるのが自然だろう。それが、日本にどのような経路を辿って渡来したのか、今となってはわからない。

種が持ち込まれた場合、その性状は親とは違うものになるので、その中のひとつがたまたま甲州であったという可能性はあるだろう。渡り鳥が運んできて日本に種を落とし、それがたまたま上手く成育したということも考えられる。もう一つは、仏教伝来説にみられるように穂木(休眠枝)の形で持ち込まれ、挿し木されて増えていったという可能性だ。

いずれにしても、最初の甲州の樹がまず1本存在し、その枝が山梨から山形、大阪などへと人の手で運ばれて日本国内に広がったと考えられる。山形に広がったのは江戸時代、大阪にある甲州は明治期に新宿御苑から、といわれている。(M. Yoshino)

つづきはWANDS誌2017年10月号をご覧ください。 ウォンズのご購入・ご購読はこちらから デジタル版もできました!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ページ上部へ戻る