ドメーヌ・ルフレーヴの4代目当主ブリス・ド・ラ・モンディエールに聞く① 〜2016年ヴィンテージとサプライズの真相〜

2016年もまた、ブルゴーニュにとって苦難のヴィンテージとなった。ブルゴーニュ・ファンにとってもつらいところだ。ドメーヌ・ルフレーヴの4代目当主に就任したブリス・ド・ラ・モンディエールが来日した。前当主アンヌ-クロード・ルフレーヴの甥にあたる人物だ。

まずは、2016年のヴィンテージの状況について、そしてモンラッシェについてはD.R.C.、コント・ラフォンらと共同で造る、という前代未聞のキュヴェについての真相を聞いた。

 

<2016年の天候>

leflaive2016年は、4月末の遅霜の被害が既に報道されている通り、例年にない複雑な天候がずっと続いた。

「暖冬で始まり、春は寒かった。霜による被害は特に特級畑でひどく65〜70%の葡萄が失われた。6月から7月にかけては、特に平地でミルデューが蔓延したため、AOCブルゴーニュクラスでの被害が大きくなった。夏は、前半は雨が多かったが後半は異例なほどの晴天続きだった」。

量的には、AOCブルゴーニュと特級が少なく、2015年と比べてトータルで40%減。しかし収穫期には程よい雨があったため「ドメーヌ・ルフレーヴの畑では1級クラスは十分に収穫できた」。

また、残った葡萄はすべてとても健全な状態で収穫でき、選別の必要もほとんどないぐらいだった。酸もしっかり残っていて質の面では申し分ないようだ。

 

<モンラッシェの共同製作は、友情の証>

すでにイギリスで報道された通り「モンラッシェ」は霜害の被害がひどかったため複数のドメーヌで葡萄を持ち寄っての共同製作がされることになった。

 

2016年のモンラッシェの収穫は、早い段階で量的には望めないと皆わかっていた。6月に、ブルゴーニュで開催される音楽祭に出席した際、親しい友と同じテーブルを囲んだ。D.R.C.のオベール・ド・ヴィレーヌとコント・ラフォンのドミニク・ラフォンだ。

オベール・ド・ヴィレーヌとは、共通の親しい友人がいて長年親交を深めてきた。ドミニク・ラフォンとはそれほどではなかったが、アンヌ=クロードと親しかった関係で、ブリス・ド・ラ・モンディエールが新当主になるとすぐに彼のほうから声をかけてきてくれて、とても親身にしてくれている。どちらとも、「家族同様の付き合いをしている」。

 

その音楽祭の席でドミニク・ラフォンが提案したのが始まりだったという。どこも被害が大きく、1社では1樽もできないところが多いから、共同で醸造しないか、というのだ。

その後、何人かに声をかけ、最終的にこの案に参加すると決めたのは、くだんの3ドメーヌに加えて、ドメーヌ・ギィ・アミオ・エ・フィス、ドメーヌ・ラミー・ピヨ、ドメーヌ・フルーロ・ラローズ。6軒でようやく2樽分造れることになった。

 

必要書類の申請も、醸造も「新米の私」が請け負うことになったという。ルフレーヴ・ファミリーの一員でありながら、畑違いの世界を歩いてきたからニュー・フェイスということになる(当主になるまでの経緯などは、つづきの②にて)。

「9月28日の朝8時に収穫を開始することにした」。何回も電話をかけてやりとりした結果のことだ。最終的に販売できるのか、販売する場合にはどうするのか、ラベルはどうするのか、今はまったくの白紙だという。ただわかっているのは、それぞれ収穫して持ち込んだ葡萄の重量に合わせて配分するボトルの数を決める、という約束だけ。

 

4代目当主ブリス・ド・ラ・モンディエールは、この話を実に生き生きと話してくれた。苦難な年だからこそ皆の力を結集しようというアイデアが生まれ、それを我が家で育て始めていることに大きな誇りを感じているように見えた。(Y. Nagoshi)

輸入元:ラックコーポレーション

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