チリカベの最高峰、ドン・メルチョー

19世紀半ばの移植以来、ボルドー品種はチリのブドウ畑で連綿と引き継がれてきた。しかし20世紀初めから続いた経済混乱と政変のせいで、それを高品質ワインに仕立てることはついぞなかった。チリ初のプレミアムワイン「ドン・メルチョー」の誕生は1987年になってからである。

 

だれもがグスト・チレノ(チリ人好みの味)を脱してフレッシュ&フルーティのヴァラエタルワインを造ろうと躍起になった1980年代。その頃から逸早くコンチャ・イ・トロはプレミアムワインを造ろうと考えていた。1984年に醸造責任者ゲッツ・フォン・ゲルスドルフをボルドーへ派遣し、エミール・ぺイノー教授にプレミアムワイン造りの教えを請うた。ぺイノーはプエンテ・アルトのカベルネ・ソーヴィニヨンの潜在力を認め、醸造コンサルタントのジャック・ボワスノを紹介した。

 

コンチャ・イ・トロの創業者名「ドン・メルチョー」を冠したアイコンワインが誕生したのはそれから3年後のことだった。以来、ボワスノはずっとドン・メルチョーのアサンブラージュに関わり、2013年ヴィンテージからは息子のエリック・ボワスノが加わった。

 

エンリケ・ティラドはコンチャ・イ・トロに1993年に入社、ゲルスドルフが指揮するドン・メルチョー醸造チームには1995年に加わった。そして1997年ヴィンテージ、エンリケはゲッツからドン・メルチョー醸造責任者の任を継いだ。

 

1990年代後半、チリの気候はエル・ニーニョ現象とラ・ニーニャ現象に見舞われ、極端な旱魃の年と雨の多い年が交互にやってきた。1997年、1999年など奇数年は旱魃の年、1998年、2000年などの偶数年は雨量の多いヴィンテージだった。

 

「大学でワイン醸造を学んだ時、チリにはヴィンテージによる大きな変動はない。安定したワイン造りができると教わって現場へ入りました。ところが私がドン・メルチョーの責任者に就いた1997年はとても乾燥した年で、翌1998年は雨の多い年でした。そして1999年は極端に乾燥して収穫量はとても少なかったのです。ドン・メルチョーを造った初めの3年は大きな戸惑いがありました。『誰だよ、チリにはヴィンテージの変動がないって言ったのは』と恨めしく思いながら懸命に作業をしていました」と、エンリケは当時を語った。(K.B.)

エンリケ・ティラドとシャトー・メルシャンの安蔵光弘チーフワインメーカーとの対談(マリコ・ヴィンヤード オムニス/ドン・メルチョー/2013年ヴィンテージについて)は、ウォンズ10月号をご覧下さい。ウォンズのご購入・ご購読はこちらから

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