プレミアム・チリワインの草分け 30周年を迎えたドン・メルチョル2017

ドン・メルチョルのブドウ畑(DOプエンテアルト)

 

チリワインの歴史は古くて新しい。

カベルネ・ソーヴィニヨンなどのボルドー品種をマイポ・ヴァレーに植えたのは、いまから170年近く前の19世紀半ばと言われているけれど、それで造った当時のワインは現在のような味わいではなかった。それは本家ボルドーとて同じことで、そのころはもっぱらクラレットを造ったのだった。

カベルネなどのボルドー品種で造るワインがいまのスタイルになったのは最近のことである。1960年代にボルドーで始まり、そのスタイルを1966年にナパで起業したロバート・モンダヴィがナパ・ヴァレーのブドウで再現すると、それはイタリアのトスカーナへ、ニューワールドのブドウ産地へと広がった。しかし、当時まだ軍政下にあったチリでは、相変わらず果実味のない、長い熟成で色褪せたワインを造り続けていた。

さらにカリフォルニアでは、新しいワイン消費者向けに、ブドウの品種名をラベルに書くようになった。ヴァラエタルワインを造ることで、それまで市場を跋扈していた産地とは縁もゆかりもない粗悪な「エルミタージュ」や「ポマール」と一線を画したかったのだろう。

1980年代半ばになって軍政のくびきから逃れたチリでも、カリフォルニアを真似たヴァラエタルワインを造る動きがうまれた。1990年代になると、みなが一斉にシャルドネを植え、ステンレスタンクとオーク樽を買い、シンプルヴァラエタルを造って国際市場に参入した。しかしチリのプレミアムワイン造りは、21世紀目前になって初めて着手したのである。だからチリのワイナリーのアイコンワインのファースト・ヴィンテージは、早いものでも1990年代半ば、大方は2000年代になってから市場に出たものである。

そんななか、コンチャ・イ・トロは他に先駆け1980年代にプレミアムワイン造りに着手したのだった。1984年に醸造責任者ゲッツ・フォン・ゲルスドルフをボルドーへ派遣し、エミール・ぺイノーに教えを請うた。ぺイノーはプエンテ・アルトのカベルネ・ソーヴィニヨンの潜在力を認め、醸造コンサルタントのジャック・ボワスノを紹介した。新しいチームの手になるドン・メルチョル1987年が誕生した。

初めの数ヴィンテージは、畑とブドウ品種の選択や樽熟成の方法、アサンブラージュの仕方などの試行錯誤が続いていた。1993年にコンチャ・イ・トロのセラードアで、木箱入りの「ドン・メルチョル・6ヴィンテージセット」を買った。たぶん円貨で1万円ほどだったのではないか。当時の私が買えたのだから。東京に持って帰り、数人で試飲した。「マイポのカベルネの特徴はミントのような青さだね」などと言いあったことを覚えている。

エンリケ・ティラドその後、プエンテ・アルトの畑の一部をアルマヴィヴァへ譲渡、ドン・メルチョルの栽培区画の確定、エンリケ・ティラドが醸造責任者になって区画ごとの仕込みとアサンブラージュの開始などのエポックがあって、徐々にこんにちのスタイルが出来上がった。30年目のヴィンテージを飲んで、もうドン・メルチョルに“マイポの青さ”を言い募る人はいないだろう。

そろそろDOプエンテ・アルトはグランクリュを名乗ってもいいはずだ。

チリのワイン関連法規にグランクリュという規定はない。しかし、いくつかの栽培エリアのブドウは世界市場で安定した評価を受けるワインを産んでいるから、それを他と区別するためにグランクリュと呼んでもいいはずだ。DOプエンテ・アルトはその最右翼である。

マイポ川の氾濫で形成された河岸段丘上にあるプエンテ・アルトの畑から、ドン・メルチョルのほかにアルマヴィヴァ、ビニェド・チャドウィックが毎年生産されている。これに近年、コノスルのシレンシオが加わった。いずれも現在のチリを代表する赤ワインである。

30ヴィンテージ目に当たる2017年産を機にドン・メルチョルは、コンチャ・イ・トロのポートフォリオから独立して「ビニャ・ドン・メルチョル」を名乗ることになる。それに伴ってメインラベルの挿絵を改訂した。これまではピルケにあるコンチャ・イ・トロ醸造所の東洋風の正門を描いていた。それを19世紀に建築されたドン・メルチョルのカソナ(シャトー、城館)の正面を描いたものに置き換えた。このカソナに宿泊設備はないが、キッチンがあって食事ができ、試飲ルームも常設されている。また、ドン・メルチョル・ライブラリーが新設されたので、そこで30年の歩みを確認することができる。(K. Bansho)

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