コニャック新時代へ

かつてコニャックが華やいだ時代があった。バブルがはじけて飲まれなくなったと言われているが、一方で同じブラウン・スピリッツに属するウイスキーは活気を取り戻し、まだ伸びそうな勢いだ。何がこの違いを生んだのか。今後コニャックの消費はどういう方向に進むのか。複数の人から意見を聞いた。

 

社交場で上司から部下へ

コニャックの最盛期は1980年代だった。コニャックとスコッチが花形で、バーボンは少しローカルなイメージだった。ブランデーやコニャックは、土産品としての需要も高かった。ブランデーの級別と220%従価税がコニャックの小売価格を高くしていただけではなく、豪華なボトルやパッケージも日本人を大いに刺激した。その頃、銀座のクラブやバーは、政財界の意見交換の場所であり社交場だった。コニャックのボトルは豪奢な内装にもふさわしかった。

いわゆるバルル経済の最中には、銀座の高級クラブも活況を呈していたが、フランス料理店が増えワインやシャンパーニュも広まり始めた。また、急速に富を得て頂点に昇り詰める人々も出てきたり、接待交際費が使いきれないほどたっぷりあった時代だ。

その当時の銀座のクラブは、今とは異なる。政財界のトップを接待し情報交換する場所だったので、クラブのママをはじめホステスも全員がプロだった。情報収集力から身なりまで一流だった。だから、上司に連れられてクラブへ行く若手は、ボスからではなくママやホステスから多くのことを教わった。教育の現場でもあった。それと同時に、接待で開けるコニャックの銘柄も上司から部下へと代々受け継がれていった。接待費がたっぷりあったので、スコッチより見た目が豪華で香りも華やかなコニャックの方が喜ばれた、という点も否めない。「もっと高いものはないのか?」という時代でもあった。そうして、コニャックは経済の潤滑油として活躍していた。

(中略)

ワイン、シャンパーニュ、焼酎の時代へ新たな需要喚起と啓蒙活動レミー・マルタンの例コニャック・ベースのカクテル/シンガポール事情/アメリカ事情

国により酒類消費の傾向は異なる。例えばシャンパーニュの場合、日本は上級クラスやロゼの割合が比較的高いことで知られている。概して日本は量より質だと思われている。これからどのような市場を形成するのか、華麗なるコニャック新時代に期待したい。(Photo by Tomoko Inoue / text: Y. Nagoshi)

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