バルサのイニエスタのワイン『ボデガ・イニエスタ』

イニエスタがやってくる。

こんどはFCバルセロナのキャプテンとして、12月10日から始まるCWC(クラブ・ワールド・カップ)に参戦するためだ。CWC 2011(日本開催)以来の来日である。ちょうど4年前の12月、東京でイニエスタに話を聞く機会があった。フットボールではなくワインの話である。

イニエスタが出身地フエンテアルビージャ村(ラ・マンチャ州)でワイナリーを経営していることは、いまではたくさんの人の知るところとなったが、当時はまだそれほど多くはなかった。著名人の名前をつけたワインはたくさんあるけれど、実際のところは名義貸しで当人は何も関わっていないか、できあいのワインの中から本人が選んだ(とされる)ものが多い。ところがイニエスタのワインは違う。

 

幼いイニエスタか遊んた祖父の店「バル・ルハン」。いまは手作りのイニエスタ・ミューシアムになっている。ちなみにイニエスタの名前はアントレス・イニエスタ・ルハン。

幼いイニエスタか遊んた祖父の店「バル・ルハン」。いまは手作りのイニエスタ・ミューシアムになっている。ちなみにイニエスタの名前はアンドレス・イニエスタ・ルハン。

イニエスタ家は代々、スペインのラ・マンチャでブドウ農業に関わってきた。祖父も父もブドウ栽培を生業とし、収穫時期にはフランスのブドウ畑に出稼ぎにいった。当時のラ・マンチャのブドウ農家はみなそうだった。一方、母方の祖父はフエンテアルビージャでバルを経営していた。母もそこを手伝っていたから、幼いイニエスタはバルの中で、客の足元を縫うようにボールをドリブルして遊んだという。

カンテラ(育成組織)からトップチームに昇格してプロ・フットボール選手になるとき、大きな契約金が手に入る。誰もがあこがれの車を手に入れたり、大きな家に引っ越したりする。けれどイニエスタは違った。彼は田舎に土地を買い、祖父と父の夢だった自前のワイナリーをプレゼントし、自らも選手生活を終えた時にはそこに戻ろうと決めた。そして畑とワイナリーに村の若者を優先して雇い入れることで、ラ・マンチャの貧しい村の“村おこし”にも一役買うことになった。

 

イニエスタ・ワイナリー

イニエスタ・ワイナリー

フットボール・ファンなら誰でも知っているFCバルセロナのインテリオール、アンドレス・イニエスタ。彼のプレーはしなやかだ。そして心のひだは繊細だ。それを物語るエピソードがある。2010年ワールドカップ南アフリカ大会ファイナルで決勝ゴールを決めたイニエスタが、ユニフォームを脱ぎアンダーシャツに仕込んだメッセージをTVカメラにむけて突き出した。そこには、

“Dani Jarque siempre con nosotros”(ダニ・ハルケ、いつも一緒だよ)

と、手書きされていた。ダニ・ハルケはバルサと同じバルセロナを本拠にするエスパニョーラのDFで、前年の夏、心臓発作で急逝した。26歳の若さだった。イニエスタがゲームの始まる前から下着にこんな仕掛けをしているとは誰も予想だにしなかった。

 

DOマンチュエラにあるホテカ・イニエスタのブトウ畑

DOマンチュエラにあるホテカ・イニエスタのブトウ畑

少し専門的になるが、ボデガ・イニエスタのあるラ・マンチャのD.O.マンチュエラを紹介しよう。

D.O.マンチュエラには4,000haのブドウ畑があり、そのうちのおよそ半分にボバルというブドウが栽培されている。ボバルはとても色の濃いブドウだ。色が濃いだけでなく酸化しにくいため新鮮な色が長持ちする。ながらくバルクで販売され続けてきたからボバルの名前が消費地で認められることはなかった。

ところが1990年代の半ば、若い醸造家たちがボバルを何とかファインワインにできないものかと工夫し始めた。およそ10年の紆余曲折があってボバルが陽の目を見ることになる。イニエスタ家からワイン造りの全権を委ねられた醸造責任者フアン・ホセ・ムニョスは、この地でずっとワインを造り続けており、ボバルにもフエンテアルビージャにも精通している。

2012年に熟成中のタンクから試飲させてもらったボバルは、よく熟していて独特の酸味があった。タンニンは少し固かったけれど、いまなら丸くしなやかになっているはずだ。

 

話がワインに向かったり、フットボールに戻ったりして、あっというまに時間が過ぎた。最後にビノ・デ・パゴvino de pagoに関心はあるかと聞いたら、イニエスタが身を乗り出してきた。

パゴは特定の際立ったテロワールを持つ単一の畑で生産されるワインのこと。スペインワイン法の品質ヒエラルキーの頂点に位置するものだ。もとはラ・マンチャ州政府が2000年に始めた原産地呼称で、2003年のワイン法改定の際にスペイン国内法に採用された。ビノ・デ・パゴの認定は、最低10年間、同じ区画から安定した品質でしかも個性あるワインを生産し続けなければならない、などとパゴの概略を伝えた。

すると、「ボデガ・イニエスタもビノ・デ・パゴを目指そう」とイニエスタがいった。

 

2iniestabottle011年の12月はこの上なく幸せだった。まず、柏レイソルが埼玉スタジアムでJリーグ・チャンピオンになった。CWCに日本代表で出場し、豊田スタジアムでネイマールのサントスとマッチアップした。ネイマールの放った左足ミドルが鮮やかにネットに刺さって先制された。その一連の流れをゴール裏で呆気にとられてみていた。豊田の街にはサントス・サポーターの放歌高吟が夜遅くまで続き、クラシコのあとのバルセロナの街のようだった。日曜日の日産スタジアムはとても寒かった。だけどレイソルのゲームとバルサのゲームを同じ席で二試合たて続けにみることができる幸運に恵まれた。あんなことは生涯、二度とないだろう。あのゲームで負傷したビジャは、結局それがもとでバルサを去ることになり、代わりにネイマールが加わった。ことしはイニエスタとネイマールが同じチームでCWCを戦う。

イニエスタのワインを飲みながら見ることにしよう。(K. B.)

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