- 2025-7-1
- Wines, フランス France

アルザスワイン委員会(CIVA)マーケティング・ディレクター、フィリップ・ブヴェ氏
アルザスワイン委員会(CIVA)のマーケティング責任者であるフィリップ・ブヴェ氏に、アルザスワインが直面する課題と、それらに対する取り組みについて伺った。
外部からの視点がもたらすマーケティング革新
「私はワインとは全く異なる、食品業界で働いていました。アルザスワインに携わる人たちは私のような外部の人間が来ることを想定していなかったかもしれません。私はマーケティングを単なる販売促進とは考えていません。私のマーケティングの哲学は、価値を向上させ、全体をより良い方向へ引き上げることです。その意味で、ワイン業界、特にアルザスのような独自の魅力を持ちながらも、新たな課題に直面している地域に、外部の視点と経験を持ち込むことは有益だと信じています」
現代ワイン業界の課題
ブヴェ氏は、現代のワイン業界が抱える課題として、若い世代のワイン離れや、一部に存在する「複雑」「難解」といったイメージを挙げた。
「特にフランスやヨーロッパでは、若い世代がワインを消費する機会が減っています。ワインの世界は、彼らにとって少し敷居が高いと感じられるのかもしれません。厚い絨毯、重厚な調度品、白い手袋にネクタイ……そういった伝統的なイメージは、時として新しい顧客層との間に距離を生んでしまいます。この距離をどう縮めるか、それが大きな課題です」
国際舞台での挑戦:大阪・関西万博への参加
アルザスワインが、大阪・関西万博のフランスパビリオンにワインパートナーとして参加することは、大きな驚きをもって迎えられた。ボルドーでもブルゴーニュでもなく、アルザスがフランスを代表して国際的な舞台に立つ。その経緯と理由は何だったのだろうか。
「大阪万博への参加は、私たちにとって、そしてアルザスワイン全体にとって、これまでにない壮大なプロジェクトです。なぜアルザスなのか、という疑問を持たれる方もいるでしょう。実際、この参加が決定した際、驚きの声が多く聞かれました。もしかしたらアルザスが国際舞台でこれほど大きな役割を担えるのか、という疑問も含んでいたのかもしれません。」
アルザスが大阪万博のパートナーに選ばれた理由として、ブヴェ氏はまず、アルザスと日本の長きにわたる歴史的、文化的、そして商業的なつながりを挙げた。特に160年前、大阪の商人がミュルーズのテキスタイル企業に布地に印刷する技術を学びに来たことが、両地域の交流の始まりだという。そして、「伝統や遺産に安住するのではなく、積極的に変化に対応し、未来を切り開こうとする姿勢が評価されました。また、アルザスワインは、有機認証やビオディナミといった環境に優しい栽培において、世界の最先端を走っています。これも決定要因の一つでした」
革新的な展示空間とビストロ企画
大阪万博のフランスパビリオンでは、アルザスワインの魅力を伝えるためのさまざまな催しが用意されている。
「最も重要なのは、私たちの革新的な展示空間です。来場者を、まるでアルザスワインの地下、地中の世界へと誘うような没入感のある空間を創り出しました。そこでは、目には見えない土壌の複雑さが表現されています。暗く神秘的な地下空間から、一転して、明るく輝くような空間へと進みます。この輝きは、まさにアルザスワインの色合い、輝きを表現しています。私たちは、アルザスワインを『白いワイン』と表現することがありますが、実際には白ではなく『黄金色』に輝いているのです。この光と闇、鉱物性と輝き、といったコントラストを通じて、アルザスワインのテロワールと個性を表現しようとしました」
さらに、パビリオン内のビストロでは、厳選されたアルザスワインが提供される。これは、単にリストにワインを載せるだけでなく、綿密な準備と協力によって実現したという。
「ビストロのワインリストは、大阪万博のために特別に選ばれた78ドメーヌのワインで構成されています。これらのワインは、日本の優れたソムリエやワイン専門家による厳正なテイスティングを経て選ばれました。さらに、このリストは6か月間の会期中に2週間ごとに更新されます。これは物流的にも非常に複雑な作業ですが、常に新鮮で多様なアルザスワインを日本の皆様にご紹介するためです。また、このプロジェクトのために特設ウェブサイトも立ち上げ、各ドメーヌの情報や、選定されたワインの詳細をご覧いただけるようにしました。これは、日本のワインプロフェッショナルや消費者の皆様に、アルザスワインの世界をより深く知っていただくための重要なツールです」
地方から発信する新たなイベント:「ラ・トゥルネ・デ・テロワール」
大阪万博のような国際的な取り組みと並行して、アルザスワイン委員会は国内でも革新的なイベントを展開している。その一つが、「ラ・トゥルネ・デ・テロワール」だ。
「『ラ・トゥルネ・デ・テロワール』は、今年で3年目を迎えるイベントで、その名の通り、アルザスのさまざまなテロワールを巡る旅です。コンセプトは非常にシンプルです。夏の間、毎週日曜日に、異なるテロワールの畑の真ん中に、移動式のワインバー、DJ、ケータリングを設置し、さまざまなワークショップを展開します。これは、若い世代を含むより幅広い層に、リラックスした雰囲気の中でワインに触れてもらうためのイベントです」
このイベントは、伝統的なワインサロンのような敷居の高さをなくし、より親しみやすく、楽しい体験を提供することを目指している。ワークショップの内容も、ブラインドテイスティングから、畑でのヨガや柔術、音楽イベントまで多岐にわたる。
「私たちは、ワインをイベントの主役に据えつつも、堅苦しさとは無縁の空間を創り出しました。特に重要なのは、その環境配慮です。例えば、電力はすべて太陽光発電で賄っています。これは、畑というデリケートな場所で開催する以上、当然の責任だと考えています。また、このイベントは栽培家にとって、自らの畑で、リラックスした雰囲気の中で消費者に直接ワインを紹介する貴重な機会です。イベントの運営は委員会が行うため、栽培家は自分のワインを持ってくるだけで良いのです。そのため、多くの栽培家が喜んで参加してくれます」
結果として、このイベントは予想をはるかに超える成功を収めている。
「毎回、600人から1000人もの人々がアルザスのさまざまなテロワールを訪れてくれます。そして、驚くべきことに、その参加者の80%が40歳以下なのです。これは、まさに私たちが目指していた若い世代へのアプローチが成功している証拠です。『ラ・トゥルネ・デ・テロワール』は、アルザスのテロワールの多様性を紹介すると同時に、ワインを飲むこと、楽しむことを、よりオープンでポジティブな体験へと変えることに成功しました。これは、伝統的なワインイベントとは全く異なる、ハイブリッドでモダンなアプローチです」
気候変動への適応と未来
ブヴェ氏は、アルザスワイン委員会が取り組むもう一つの重要なテーマとして、気候変動への適応を挙げた。これは、単なる環境問題ではなく、ワインの品質と未来に直結する喫緊の課題だ。
「気候変動は、アルザスワインに大きな影響を与えています。ここ数十年で、発芽や開花、色付き(ヴェレゾン)の時期が大幅に早まり、ブドウの成熟が速く進み、アルコール度数が上昇し、酸が低下する傾向が見られます。しかし、私たちはこの変化をただ受け入れるだけでなく、積極的に適応するための戦略を講じています」
CIVAは、技術パートナーである「国立農業・食料・環境研究所」や農業会議所などと連携し、「アルザダプト」というプロジェクトを推進している。これは、水不足への耐性向上、ブドウ樹自体の回復力強化などを目指す包括的な取り組みだ。
「具体的な取り組みとしては、まず栽培管理があります。葉の面積の管理や収量調整を通じて、ブドウ樹にかかるストレスを軽減します。また、日よけネットの活用も進めています。これはUVをカットし、温度上昇を抑えることで、ブドウの健全な成熟を助けます。土壌管理も重要で、被覆作物の種類や管理方法を工夫することで、土壌の健康を保ち、水保持力を高めます。さらに、長期的な視点では、さまざまな台木のテストや、耐病性品種の導入など、植物素材の研究開発にも力を入れています。これらの取り組みは、我々の技術部門がスイスのライフサイエンス・イノベーション拠点『ビオポール』内で推進しています」
変化の中の新たな可能性
「ピノ・ノワールにとっては、気候変動が品質向上に寄与する側面もあります。より成熟した、濃縮感のあるピノ・ノワールが生まれています。しかし、全体として見れば、畑仕事は以前よりもはるかに複雑になっています。天候が不安定化し、『例外』が『常態化』しているからです」
それでも、アルザスワインには揺るぎない強みがあるとブヴェ氏は強調する。
テロワールの不変性という強み
「私たちのワインは、何よりも『テロワール』に基づいています。それは、地下の、深層の、数百万年かけて形成された岩盤や土壌の個性です。気候変動が地上のブドウ樹や生育過程に影響を与えても、この深層部は変わりません。例えるなら、海の表面が嵐で荒れても、深海は静寂を保っているようなものです。アルザスワインは、この揺るぎないテロワールの深さを持っているのです。だからこそ、どんな変化が訪れても、私たちはアルザスワインらしさを保ちながら、素晴らしいワインを造り続けることができると信じています」
「私たちは、単に言葉で語るだけでなく、『行動』することを重視しています。大阪万博への参加も、気候変動への適応戦略も、すべては具体的な行動の現れです。そして、これらの取り組みは、単独で行っているのではなく、アルザスの栽培家全体、そして多くのパートナーとの協力によって成り立っています」
最後に、ブヴェ氏は「アルザスワイン委員会は、伝統と革新、地域と世界、自然と人間との調和を目指し、常に動き続けている。その活動は、アルザスワインが、変化の激しい時代においても、唯一無二の個性を保ちながら、世界中のワイン愛好家を魅了し続けるであろう」とアルザスワインの未来に対する強い自信を語った。
(Text: Toshio Matsuura / Paris)
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