「麻井宇介のワイン余話」 余話。その3 伝統産地VS新興産地 〜テロワールは産地の名声を支えられるか〜⑩⑪

余話。その3

伝統産地VS新興産地 〜テロワールは産地の名声を支えられるか〜⑩

さて、「テロワール」とはいったいなにか。これが、たいへん漠然とした概念なのです。まず、日本語に適訳がありません。そればかりか英語にもないのです。

モエ・エ・シャンドン社が原文を起草・編集し、アシェット社から出版された『ワイン6ヵ国語辞典』は、フランス語のterroirにドイツ語erde、英語soil、スペイン語pago、イタリア語terreno、日本語tsuchi(土)をあてていますが、これは一種の割り切りです。

この辞典の限られたスペースの中での解説は,

「ブドウ園のブドウの木を育てる土壌で、これがワインに特徴を与える。Goût de terroir:土がワインに自然に付与する特有の味で、天候が異なる収穫年や、醸造法によっても変わらない一貫したその場所の味」

と述べています。これだけではこの言葉の意味する全貌を捉えているとは、もちろん云えません。

その上、フランス語の語意それ自体に、この言葉を使う人によって、かなりニュアンスの違いがあるんです。なかでも、見解の最も大きく分かれる点は、「テロワール」を「ブドウ畑をとりまくすべての自然環境」と総括した上で、その自然環境に人為の関与を認めるのか認めないのか、というところにあると思います。

 

「テロワール」という概念はどんな要素によって構成されているか考えてみましょう。

ブドウ畑の展開する風景を想像して下さいくコルトンの丘とか、メドックのなだらかな起伏とか、モーゼルの蛇行する川の谷間の急斜面とか、それらをランドサット衛星から見れば地球の表面に自然が造形したレリーフと形容できるのではないでしょうか。このレリーフが地球のどの位置にあるのか、標高や傾斜の方向や勾配はどうなっているのか、といったブドウ畑の占める「場」の在りよう(存在の仕方)はterroirの最も本質的な要素です。

次にその場所の土地の性質、通常は表面を覆う土壌と、その下にある地質、さらにはそこに介在する水分の挙動といったものが、terroirの物理的、化学的特性を決定づけます。

しかし、ブドウ畑の自然環境はこれがすべてではありません。この場所の通年の気温や降水量、日照から得られるエネルギーなど、大地とそこに生育するブドウに影響を及ぼす気象条件もまたterroirの重要な要素なのです。

一見、ここに挙げた要素は自然の側に属するものばかりのように思われます。「テロワール」の本質を、ブドウ畑を介して自然がブドウ果実に賦与する「個性」だと考えることについては、多分、ワインのつくり手に異を唱える人はいないでしょう。ところが、ブドウ畑というのは、人間が自然に働きかけてつくり上げたものです。もし手入れを怠れば、もとの原野にかえってしまいます。「テロワール」という概念に人為的要因を加えるべきだという主張は、ここから生まれます。

 

 

余話。その3

伝統産地VS新興産地 〜テロワールは産地の名声を支えられるか〜⑪

話がくどくなることを怖れずに、具体的な例を挙げて、もう少し説明を続けます。

ボルドーワインの名声を天下に轟かせたのは、ラフィット、ラトゥール、マルゴーなどの銘醸赤ワインとイケムを筆頭とする貴腐ワインの功績でありましょう。

そこで、著名な赤ワインの主産地メドックについて語る人は、水はけの良い砂礫質の土壌と夏乾性の気象、すなわち類い希なる「テロワール」について言及し、聞く者は、この自然条件が不変であるごとく、メドック銘醸シャトーの名声もまた不滅であると錯覚してきたのではないでしょうか。

ジロンド川の干拓工事が行われる以前、メドックがまだ水びたしの沼地であった頃、これが「テロワール」を誇る銘醸地になると誰が想像したでしょう。干拓は人間の自然に対する大きな働きかけです。そしてメドックという産地が生まれました。この時、水の下に本来存在していた「テロワール」が顕在化したのだという見方に立つと、それは人間がどう振舞おうとも厳然として変わらずに在るのであって、干拓工事は素晴らしい「テロワール」を沼地の中から拾い上げたということになります。

その一方、「テロワール」というものはブドウ畑そのものであり、ブドウ畑が存在しないときは「テロワール」もまた存在しないのだという考え方があります。

この考え方の根幹をなしている思想を私なりに解釈すると、こんなことではないでしょうか。

まず、「テロワール」というものは、その存在が収穫されたブドウに投影しているけれども、それはブドウ畑の農作業を通して発現するもので、その際、その畑にどんな品種を栽培すればよいのかの判断もまた人間にゆだねられています。要するに、「テロワール」を構成する自然的要因は「人」という要素抜きではなんの意味も持ち得ないのです。

次に、もし「テロワール」の優劣が自然的要因によってはじめから明らかに定まっているとしたら、人間は自然的要因の欠点を矯正する努力を必ずします。太古から、人類の暮らしはそのようにして進歩してきたのです。自然的要因を重視する思想は、良い「テロワール」に畑を持ったと自負する人達が有利な現状を維 持したい心情の発露かもしれません

もともと、ワイン用ブドウの栽培はブドウにとって生育しにくい異風土へ拡散していく歴史を綴ってきたものです。良い「テロワール」を選びながら広がっていったのではありません。営々と努力して、その土地にあった良いブドウ畑をつくり上げていったのです。たまたま、そこがメドックとなりコート・ドールとなったに過ぎないのです。そして、この二つの産地の「テロワール」は、共通点がどこにもないといってよいほど違います。同じなのは、ブドウ畑で働く人達の熱意とそこが銘醸地であるという誇りです。

ワイン余話 その1、その2はこちらからご覧いただけます。

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