フリーマンからソノマ・コーストAVAの自社畑産ピノ・ノワールが日本初上陸

ソノマの「フリーマン・ヴィンヤード・アンド・ワイナリー」でワイン造りに励むのは、日本人女性のアキコ・フリーマン。金融畑で働く夫のケン・フリーマンとともに、いつかはワイナリーオーナーになる日を夢見て北カリフォルニアの各地を探し回り、2001年にようやく、理想の物件をソノマのセバストポールに見つけた。

ワインを造るならピノ・ノワールに最適な土地と決めていたふたり。05年、ワイナリーに隣接するロシアン・リヴァー・ヴァレーAVAの土地に、リンゴ畑を改植する形でピノ・ノワールを植樹。ふたりが出会うきっかけとなった1985年のハリケーンの名に因み、「グロリア・ヴィンヤード」と名付けられたこの畑は、ソノマ・コーストとロシアン・リヴァー・ヴァレー、ふたつのAVAが名乗れる。さらに07年には太平洋岸からわずか8キロ、標高300メートルの元牧場20ヘクタールを入手。そのうち9ヘクタールを環境保護財団に寄付し、翌08年に5.7ヘクタールのんに土地にピノ・ノワールを植えた。ソノマ・コーストAVAに属するこの畑の名は「ユーキ・ヴィンヤード」。アキコの甥の名前からとったという。

祖父の影響で若いうちからワインに親しんでいたとはいえ、大学および大学院では美術史を専攻したアキコにとり、ワイン造りは未知の世界。そこで当初はピノ・ノワールの名手として知られるエド・カーツマンをコンサルタントワインメーカーとして起用。しかし好奇心旺盛なアキコはエドの指導のもと、果敢にもワイン造りに挑戦する。8ヴィンテージ目の09年、エドは「教えるべきことはすべて教えた」と言い残し、ワインメーカーの座をアキコに譲ったのである。

ワイナリーでは毎年、アキコにケン、エドに加え、数名の希望者がそれぞれブレンドしたキュヴェを造り、それをワイナリーのスタッフ全員でブラインド試飲。優れたワインをブレンドした人物の名前でリリースしているが、これまで勝者はアキコのみ。それが「アキコズ・キュヴェ」だ。また白ワインの「涼風シャルドネ」は、2015年、訪米した安倍晋三首相をホワイトハウスに迎えるバラク・オバマ大統領の公式晩餐会で、その13年ヴィンテージが供されて話題となった。

今回の主役は日本に初上陸を果たした「ユーキ・エステート・ピノ・ノワール」。先に説明したソノマ・コーストAVAに08年植樹した自社畑。クローンはカリフォルニア・ヘリテージの「カレラ」「マウント・エデン」に加え、スイス系の「ヴァーデンスヴィル(2A)」や「マリアフェルド」、それにディジョンの「667」「114」「828」が植えられている。ヘリテージ・クローンが大部分を占めるグロリア・ヴィンヤードと対照的だが、それはこの土地の気候が涼しいから。グロリアからわずか5~6キロ海に近いだけで、ユーキの気温は平均10度も低く、収穫は2~3週間遅い。そこで冷涼な気候を好む、スイス系クローンやディジョン・クローンを広く植えた。

5種類のピノ・ノワールはそれぞれがキャラクターを備えて微妙にスタイルが異なるものの、熟し過ぎず、また単調でもなく、幾重にもレイアーを備えたバランスのよさが特徴。とくに新顔の「ユーキ・エステート」はレイヤーや奥行き、余韻の長さが桁違いで、よい意味でブルゴーニュを彷彿させるピノ・ノワールだった。(Tadayuki Yanagi)

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