- 2025-9-21
- Wines, フランス France

ヴヴレーの生産家で、INAOの会長をつとめる、フィリップ・ブリスバール会長
クレマンをめぐる議論と品質認証の舞台裏
5月15日に、ボーヌで開催された全国クレマン生産者連盟総会後の講演会で、フランスワイン界が直面する課題について、その舵取りを担う最高機関のトップであるINAO(フランス国立原産地名称協会)会長のフィリップ・ブリスバール氏が要旨以下のように語った。
約1時間の講演の中で、フランスの品質認証制度の核心と、活況を呈するスパークリングワイン市場が抱える複雑な問題を浮き彫りにした。
講演の冒頭、会長はまず自身の経歴に触れ、自分は単なる行政官ではなく、ロワール地方ヴヴレーでワインを造る一人のブドウ栽培・醸造家(ヴィニュロン)であると紹介した。これはINAOという組織が常に生産現場と共にあることを象徴している。
講演の核心は、近年大きな議論を呼んでいる新しいスパークリングワイン、特にIGPカテゴリでの生産をめぐるものだった。
世界的なスパークリングワイン市場の好調を背景に、これまでスパークリングワインを生産してこなかった地域のIGP生産者が、新たに瓶内二次発酵ワインの生産を申請するケースが増えている。しかし、フランスの品質認証制度は、単なる市場原理だけで動くものではない。ここで重要なキーワードとなるのが「先行性・先例」という概念だ。ある地域が新たに特定のタイプのワインのIGP認証を申請する際、その地域で歴史的にそのワインが生産されてきたという客観的な実績が厳しく問われる。
会長は、「過去に却下された品質認証の多くは、申請に当たってこの先行性の証明が不十分だったためだ」と明かす。これは、地理的表示が単なる地名ではなく、その土地に根付いた歴史、文化、ノウハウの結晶であるべきだというINAOの哲学を反映している。安易な便乗生産を防ぎ、地理的表示の価値を守るための重要な防波堤なのである。しかし、時間の経過とともに状況は変化する。かつては先行性がなかった地域でも、数十年にわたりスパークリングワインを造り続ければ、新たな「先行性」が生まれる可能性がある。「水は橋の下を流れ、時と共に先行性は築かれていく。いつの日か、我々はその事実を認めざるを得なくなるだろう」。「歴史的な生産実績がない要求は退けてきた」としながらも、ブリスバー会長は、「時が経つにつれて、彼らもまた『先行性』を築いてしまう」というジレンマを吐露した。
こうした新たな動きに対し、INAOはどのような姿勢で臨むのか。会長は、「我々の本来の役割は、生産者同士が法廷で争う『戦争』を終わらせることにある」と、1935年の設立理念に立ち返る。無用な対立を避け、全ての関係者が納得できる解決策を模索する「対話の場」を提供することこそが、INAOの使命だという。
現在、新しいスパークリングIGPを承認する際の具体的なガイドライン策定に向け、委員会の中で活発な議論が交わされている。その議論の中心にあるのは、新規参入に際しての具体的な基準だ。例えば、最低でも12年間の生産実績を求める「先行性」の明確な基準設定や、その土地の特性を反映したぶどう品種への限定などが検討されている。さらに、消費者の混乱を避けるため、既存のAOP、特にクレマンの生産地域との明確な線引きを行い、生産地域の重複を回避することも重要な論点だ。
品質面では、地理的表示を名乗る以上、手間のかかる瓶内二次発酵(メトード・トラディショネル)を基本とし、大量生産向きのシャルマ方式などは認めない方向で厳格な基準を設けるべきだという意見が有力視されている。これらの議論は、フランスワインの品質と伝統を守りながらも、時代の変化や生産者の新たな挑戦に柔軟に対応しようとするINAOの苦心とバランス感覚の表れと言えるだろう。
会場の生産者からは「クレマンは単なる製法やレシピではない。テロワールに根差したAOCそのものだ」という強い意見が上がった。既得のクレマンの権利を持つ生産者は、IGPワインの生産者が安易にクレマンの市場に参入することへの強い警戒感を抱いている。
講演後の質疑応答では、現場が抱えるより具体的な問題が提起された。サヴォワ地方からの参加者は、なぜ自分たちのAOPが「クレマン・ド・サヴォワ」ではなく、「ヴァン・ド・サヴォワ・クレマン」という呼称で承認されたのかという長年の疑問を投げかけた。これに対し会長は、問題の根源が2007年のEU規則改正にあると説明した。2007年のEU規則改正後、EUは「クレマン」を地理的名称ではなく、生産方法を示す「補足的な伝統的表示」と位置づけた。そのため、改正後に申請されたサヴォワは、AOP名である「ヴァン・ド・サヴォワ」の後に「クレマン」を付記する形での承認となったのである。この呼称の不統一を是正しようとすれば、EUに規則の再解釈を求めることになる。しかし、もし我々がサヴォワのために再度この問題を欧州委員会に提起すれば、『それならば他の地域のクレマンも全て “ヴァン・ド・ブルゴーニュ・クレマン” のように表記を統一しなさい』と言われかねない」。つまり、これは、「藪をつついて蛇を出す」リスクをはらんでおり、他の全てのクレマン産地を巻き込み、クレマン全体のブランド価値を損なうリスクを伴う。時には、触れない方が賢明な問題もある」と会長は国際的な規制の壁と、それに伴うリスクマネジメントの難しさを率直に語った。
一部の生産者からは、マーケティングの視点から「サヴォワ・クレマンのように、むしろ地域名を前に出した方がテロワールを強調できるのではないか」という逆の提案もなされた。しかし、「50年かけて築き上げた『クレマン・ド・・・・・…』というブランドイメージを今から覆すのは現実的ではない」という意見が大勢を占めた。
クレマン・ド・ブルゴーニュの生産家からは、品質のさらなる高みを追求するため、クレマンにおいても特定の畑名、すなわち「リューディ」や「クリマ」の表示を認めるべきだという要望が長年あった。この点について会長は、委員会での長年の議論の末、ついに表示が承認されたことを報告した。これは、クレマンの価値向上と多様性を促進する画期的な決定だ。しかし、その実現には「リキュール・デクスペディション(門出のリキュール)も含め、100%その小区画のブドウを使用すること」という極めて厳格な条件が課せられている。生産現場では、この技術的ハードルをどう越えるかという新たな挑戦が始まっている。
今回の講演は、INAOが決して古風な伝統に固執するだけの組織ではなく、市場の動向や生産者の意欲に真摯に耳を傾け、絶えず議論を続ける生きた組織であることを明確に示した。スパークリングワインをめぐるAOPとIGPの境界線、EU規則との整合性、そして品質向上のための新たな試み。これらの複雑な課題に対する答えは一つではない。しかし、生産者主導の徹底した議論を通じて、品質、伝統、そして革新のバランスを取りながら一歩ずつ前に進んでいく。そのプロセス自体が、フランスワインが世界で比類なき価値を維持し続ける力の源泉だということを改めて確認した。
(Toshio Matsuura / Paris)
















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