本物のトスカーナがここにある ポリツィアーノ Montepulciano

ワインを飲んだ人が「ポリツィアーノだ!」とすぐわかるように、テロワールをきちんと表現したワインを造ることを心掛けている。開口一番、フェデリコ・カルレッティが言った。

 

フェデリコはながらくヴィーノ・ノビレ・ディ・モンテプルチャーノ生産者協会の会長を務めていた。毎年のアンテプリマであいさつをしていたから、誰もが彼を知っており、いわば“ヴィーノ・ノビレの顔”のような存在である。ことしはフェデリコのワイナリー、ポリツィアーノを訪ねた。

 

ポリツィアーノは、丘上の城塞の町・モンテプルチャーノの北東にある。

1961年にフェデリコの父・ディーノ・カルレッティがこの地に20haの畑を購入してワイン造りが始まった。ワインはながらくダミジャーノなどの大型容器で他の会社に販売していたから、ポリツィアーノの名前が知られることはなかった。

 

この醸造所を1981年にフェデリコが継いだ。その3年前にフィレンツェ大学でエノロゴの資格をとったフェデリコは、栽培と醸造を見直し、ファインワインを瓶詰めしてポリツィアーノの名前で売ろうと決めた。当時のイタリアのワイン造りは父子相伝の技で、科学的に栽培と醸造を学び、エノロゴの資格を得た造り手はそれほど多くはなかった。

 

フェデリコは手始めに1978年産ヴィーノ・ノビレを瓶詰めしてスイスへ輸出した。評判は上々だった。しかしそれでよしとせず、フランスを訪ねてブドウ栽培とワイン醸造を実地で学ぶことにした。

 

そして1985年にブドウ畑の改良に取り掛かった。まず、畑をくまなくまわりサンジョヴェーゼの優良株を選抜した。植樹本数も3,000本/haから5,000本/haに増やした。

「振り返ってみると1985年はポリツィアーノにとってだけでなく、イタリアワイン産業全体の大きな転換点だったと思う。とくに1985年産サッシカイアが偉大なワインで、これが世界から評価された。ポリツィアーノもあの年から質的に大きく変わった」と、フェデリコは言う。

 

ポリツィアーノは他所からブドウを買わず自社畑のブドウだけでワインを造る。自社畑はモンテプルチャーノに130ha、少し北のコルトナに7ha、海岸近くのマレンマに27haといううちわけだ。

モンテプルチャーノの130haの中に、キアンティ・コッリ・セネージが14ha含まれる。その畑のそばを車で通った時に、「このキアンティは日本市場でとても人気があり、アサヒビールがたくさん買ってくれるんだ」と、フェデリコはとても嬉しそうに説明した。ヴィーノ・ノビレと同じサンジョヴェーゼを栽培し、同じように醸造しているが、畑の立地がDOCGヴィーノ・ノビレ境界線の外側にあるのでキアンティを名乗っている。

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