「ワーテルロー 泡の戦い 2015」<前編> by デイヴィッド・コッボルド /訳:立花峰夫

この物語は、ベルギーはワーテルローの古戦場で先日開かれた、スパークリングワイン対決の顛末を記したものである。ワーテルローといえばちょうど200 年前、ナポレオン・ボナパルトが最後の戦いに敗れた場所であった。

 

スパークリングワインがイギリスで生まれたことを、知らないで驚く人は多い。原料葡萄こそシャンパーニュから運ばれたものだったが、イギリスでの誕生は17 世紀の半ばであり、フランスにおける生産開始におおよそ50 年は先だっている。これは、社会的、経済的、技術的な要因があれこれ複雑に絡み合った末の僥倖であった。

事実を裏付けてくれるのは、サン・エヴルモン侯爵という、17 世紀末のロンドンにいた亡命フランス人の記した手紙である。侯爵は、英国民がシャンパーニュ産のワインについて、泡立たないものよりも泡立つものを好むと嘆いていた。フランスでは当時、泡のないスタイルのほうが人気だったのだ。

 

英文学の世界では、ほかにも泡立つワインについてはっきり言及されている例がいくつか見られる。1663 年に発表されたサミュエル・バトラーによる詩『ヒューディブラス Hudibras』がその一例で、登場するのは「brisk champagne」という記述である。この時代におけるbrisk の語は、活発、華やか、きびきびといった意味で用いられていた。

もっと具体的なのは、ジョージ・エサリッジによる1676 年発表の戯曲『当世伊達男 ­e Man of Mode』の劇中歌で、「倦怠期の恋人たちも、泡立つシャンパーニュで生き返る」と唱う。

他にも例は多数あるのだが、この頃はまだ、フランスでシャンパーニュといえばスティルワインしかなかったのだ。技術的な話をすると、イギリスで石炭窯が発明されて初めて、スパークリングワイン瓶内のガス圧に耐えられる強さのガラス生産が可能になった。コルクのほうは、ポルトガルとの交易ルートを通じて供給されていた。こうした事実については、フランスの歴史家とて異論はあるまい。今日でも、英国はシャンパーニュにとって最大の輸出市場である。

 

ドイツもまた、シャンパーニュという産地が確立し、売上を伸ばすにあたって重要な役割を果たしてきた。商人として、銀行家として、技術者として関わっただけではない。泡の出るものなら何でも歓迎という国民性も、もちろん一役買っている。ドイツとのつながりを理解するには、由緒正しきシャンパーニュ製造会社の名前を思い起こすだけでよい。エドシック、ボランジェ、マム、ドゥーツ、クリュッグなどはすべて、ライン川の東側にそのルーツがあるのだ。衣類やワインの商いをするために、フランスへと渡ってきたのである。銀行業を営んでいた者もいて、フランスに留まってシャンパーニュに会社を設立している。ドイツからは技術者も大勢来ていて、製造プロセスがだんだん洗練されていくのに力を貸した。そんなわけだから、シャンパーニュがあらゆるワインの中で、一番汎ヨーロッパ的なものだと言ってもかまわないだろう。

イギリスとは違ってドイツにはもちろん、とても長いワイン造りの歴史がある。主に白ワインによって編まれてきた歴史だ。現代のドイツは、ヨーロッパで5 番目のワイン生産国である。

ワーテルロー・ライオンの像の丘を背にしたデイヴィッド・コッボルド

ワーテルロー・ライオンの像の丘を背にしたデイヴィッド・コッボルド

イギリスと、1815 年当時存在していた多数のドイツ諸国(とりわけハノーファー王国とプロイセン王国、加えてオランダの軍勢も少々)が力を合わせ、ナポレオンをワーテルローの地でとうとう打ち破ったわけである。だが、シャンパーニュほかのスパークリングワインが、いかなる戦争よりもはるかに、人類の友愛に尽くしてきたことは疑いを容れないだろう。スパークリングワインへの愛は、3 つの国を結びつけてくれる。

今年(2015 年)はこれまでに、ナポレオンが最後に敗れた戦いを記念して、あれやこれやの祝祭行事が催された。そこで私は、泡の出るシャンパーニュが今日の指導的地位を築くにあたり、戦に関わった三国の果たしてきた役割を振り返ってみた。かくして、現代のイギリス産スパークリングワインをいくつか、ドイツ、フランス産の選りすぐりと戦わせたならば、興味深く楽しいのではないかと思い至ったのである。

 

世界中のスパークリングワインが、目下主要な市場で大きく販売を伸ばしている。地球温暖化は、ほとんど誰も敢えては否定できない現実であり、ワイン生産地の気候にも影響は及んでいる。イギリス南部の今の年平均気温が、フランス北東部にあるシャンパーニュ地方の25年ほど前と同じになっているのがその好例だ。イギリスのワイン生産者にとって、生育期間中にたくさん雨が降るのが悩みの種ではあるものの、過去10 年で葡萄の植わる面積は激増してきており、今では約1500 ヘクタールに達している。その大半がスパークリングワインの生産用であり、たいていはシャンパーニュと同じ葡萄を植えている。ほとんどがシャルドネとピノ・ノワールなのである。ケント、サセックス、ハンプシャーが主要な生産州だ。「ブリターニュ」というちょっと変わった産地呼称を用いる造り手も数名いる。「シャンパーニュ方式」だと言いたいのだが、この言葉は使用が制限されているので、ブリターニュの語に添えてフランス語で「メトード・ブリタニック」(イギリス方式)と書くわけだ。本稿導入部に書いた通り、シャンパーニュ方式をイギリス方式だと呼ぶことには歴史的な正当性がある。

 

ドイツの葡萄栽培面積はおよそ10 万ヘクタールで、国を4 分割した際の南西部にそのほとんどが位置する。ドイツ産のスパークリングワインは相当な量が造られていて、品質水準もさまざまである。タンク内で二次発酵を行い「ゼクト」と呼ばれるワインのほか、瓶内二次発酵のものは時に「伝統的醸造法」を標榜する*注1。 シャンパーニュと同じ葡萄(ピノ・ノワール、ピノ・ムニエ、シャルドネ)が使われているものもあるが、リースリング、ピノ・ブランほかの品種も多い。

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