「麻井宇介のワイン余話」 余話。その2 品種を巡るパラドックス 〜カベルネとシャルドネは究極の品種なのか〜③&④

「麻井宇介のワイン余話」 余話。その2 品種を巡るパラドックス 〜カベルネとシャルドネは究極の品種なのか〜 ③

食べること、飲むことについて、独自の文化をもついろいろな地方から人が集まって都市が生まれますと、ここでは食料も飲料も彼等自身が生産することはありませんから、都市成立以前にはありえなかったマス・マーケットが生まれます。問題は、この消費市場に内在する風土性です。

食べることについては、料理の仕方が、素材に求められる風土性を不問にしてしまいました。これに対して、飲みもの、つまりワインは、風土性の強い産物で、しかもこれ以上手を加えずに飲用されるものです。飲み手の側には、それぞれ好みがありますが、大量に消費される日常のワインについては、全体をひとまとめにして、マス・マーケットに対応するマス・プロダクションのワインが求められます。現実には都市の水がめともいえる産地は限定されてしまうからです。 パリの場合、鉄道が南フランスやボルドーまで延びる1850年代まで、パリジャンの飲む毎日のワインはセーヌ川の上流一帯から船に積んで運ばれてきたものが大部分を占めていました。

ヴァン・ドゥ・ターブルの世界は、ここから開けていくのです。ヴァン・ドゥ・ターブルを、ただ単に「安くて、それなりの品質でしかないワイン」と思いこんではいけません。私達は、フランスワインの分類を示すピラミッド、AOCワインを頂点に、VDQS、Vin de Pays、Vin de Tableと積み重なった図を見てしまうと、底辺にあるワインを品質の粗末なものと、つい想像してしまいます。しかし、この図にはもう一つの読み方があるのです。

産地に由来する風土性を強く持つものから次第に希薄となっていく構図、といったらいいでしょうか。個性の強いものは鋭く尖り、くせのない誰の好みにも逆らわない没個性のワインがヴォリュームを支えているのです。別の表現をするなら、マス・マーケットはワインの「風土ばなれ」を促し、もはや産地の個性を主張しない新しいワインのジャンル、ヴァン・ドゥ・ターブルを誕生させた、ということになります。

ここに見られるように、「風土ばなれ」と普遍性の獲得は表裏一体のものです。そして、こういう現象が歴史の中に起こってくること、それを私は、ワインにおける文明化の一つの道すじと考えています。

ここでいう「文明化」は、ワイン文化の内側で起こっているのですが、ワイン文化が異文化へ向かって浸透していく場合は、ヴァン・ドゥ・ターブルとはまったく異質の「文明としてのワイン」が登場します。

 

「麻井宇介のワイン余話」 余話。その2 品種を巡るパラドックス 〜カベルネとシャルドネは究極の品種なのか〜 ④ 

ワインが文明化するということを、ワインそれ自体の品質がどう変わるのかという点から申しますと、ヴァン・ドゥ・ターブルの場合は、均質で大量の製品を常時供給できるようにするため、ブレンドとファイニングの技術が品質を規格通りにコントロールしていきます。

ここでいう「規格」が風土の産物であるワインを文明化するのです。「規格」は人為的なもので、文明の側にあるワインに普遍性を付与する力を持っています。ワイン文化の後進国がワインを受容する最も一般的なプロセスは、甘口ワインから市場が醸成されていく、ということです。歴史的にみれば、その典型はイギリスです。彼等ほど熱心に甘口ワインを求めた国はありません。また、ワイン書という情報媒体がいち早く生まれたのもイギリスでした。

そのワイン書の目次を見ますと、100年くらい昔に出版されたものには、必ずカナリア諸島のワインについて、独立の項目を立てて記述しています。今は、そんな本はまずありません。なぜカナリアかといえば、当時、イギリス人の気に入りの甘口ワインが、そこから大量に輸入されていたからなんです。

シェリーもポートも、イギリス人が世界の名酒に仕立て上げたのですが、それは甘口ワインにいかに執着していたか、ということの証明でもあるのです。

こうした甘口ワインは、時と所をかえて、ワイン文化の後進国に次々に現れます。オーストラリアではつい20年くらい前まで、ワインを代表するものは自国産の甘口シェリーとポートだったのです。アメリカでもカリフォルニアワインの名声が確立する以前、実にさまざまな甘口ワインが登場しました。ポップワイン、コールドダック、ワインクーラー、等々。そして日本では、「赤玉」「蜂」「大黒」といった銘柄が競いあう甘味ブドー酒の時代が1970年代まで尾を引いていたのです。

過ぎ去った事例を並べてみると、これらは個別の流行ではなく、「甘口」という規格が、ワインをワイン文化の外へ拡散させていく一般的な現象であったということがわかってきます。ワインが、ワイン文化を持っていない人達や、都市に住みワイン文化の根ざした風土から離れた人達の飲みものになっていくために変容していくのですが、これには共通点があるんです。どういうことかといいますと、「甘口」とか「ヴァン・ドゥ・ターブル」とか「スパークリング・ワイン」 とか、スタイルで呼ばれるワインになっていくんです。

この前後の余話のリンク先はこちらの「余話の余話」をご参考に

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