「麻井宇介のワイン余話」の余話/1990年1月、信州桔梗ケ原にて

1985年夏、ワイン業界はジエチレングリコール混入事件で大騒ぎだった。

国産ワインのラベル表示をめぐって消費者団体がワイン生産者に質す(ただす)という趣旨の会があった。たしか主婦会館だったと思う。会場のひな壇に生産者代表が並び、その中に三楽(メルシャンの前身)代表の浅井さんもいた。会が終わってから浅井さんと長い立ち話をした。以来、折にふれてブドウとワインの話をしてもらえるようになった。

1989年にユーゴスラヴィアのリュブリアーナで開かれた第35回国際ワインコンクールで「シャトー・メルシャン信州桔梗ケ原メルロー1985年」が赤ワイン部門の大金賞を受賞した。日本ワインで初めての快挙だった。その冬(1990年1月)、浅井さんに「桔梗ヶ原に行かないか」と誘われた。雪に覆われた畑で栽培家の塩原さんと林農園の林幹雄さんにメルロー栽培の経緯とご苦労を聞き、その時初めて浅井さんと桔梗ケ原の深い関わりを知った。

『比較ワイン文化考』のあとがきに浅井さんは書いている。

「昭和三十年秋、一介の酒造職人として信州桔梗ヶ原で初めて酒母をたてた日、機械を使わず素足で踏みつぶしたブドウの、足裏をぬるりと滑るひんやりした感覚は、いまも消えない。その頃、私の眼中にはただ日本の甘味葡萄酒があるだけであった。これを両洋の風土に位置づけたワインとして対比することも、また、日本人の飲む他の酒類と比較しつつ、日本でワインを醸造する意味について考えることも、まだ混沌のうちにあった。」

それから20年後の1975年(昭和五十年)、浅井さんはこの信州桔梗ケ原の地で大きな決断を迫られていた。甘味ブドウ酒の消費減退で桔梗ケ原のコンコードとナイアガラ栽培が危機に瀕していたからだ。浅井さんは大黒葡萄生産出荷組合のメンバーを前にして、

「これからはテーブルワインの時代です。それには醸造用品種が必要です。林農園さんがさまざまな品種の実験栽培を繰り返した結果、桔梗ケ原にはメルローが最も適していると言っています。みなさんの畑もメルローに改植してください。メルロー栽培の目途が立つまでは私たちがコンコードを買い支えますから」と、訴えたという。

そのメルローが桔梗ケ原特有の冬の寒さを克服して元気に育ち、国際ワインコンクールで大金賞をとった。しかもジエチレングリコールで大騒ぎをしたあの1985年のブドウである。東京と山梨で繰り広げられた夏の大騒動をよそに信州桔梗ケ原のメルローは立派な房をつけていた。しかも桔梗ケ原に誘ってもらったのは浅井さんが還暦を迎える年の正月のことだった。浅井さんの感慨いかばかりか。当時の私の取材メモを見返すと残念ながらその肝心なところが抜けている。私も年齢だけは当時の浅井さんに追いつき追い越した。いまならもう少し聞けたかもしれない。

1997年にWANDS誌で『麻井宇介のワイン余話』を連載した。これはワインスカラ(石井もと子さん主宰)の浅井さんの講義を採録し、テープからベタ起こしする。それを浅井さんに届けるとたっぷり加筆され、話の順序も大きく入れ替わって戻ってくる。ほとんど原形をとどめないほどに手が入った。1997年6月号から連載を始め、秋には終わる予定だったが、結局1998年3月号まで続いた。

それから3年後の2001年に『ワインづくりの思想』が上梓される。私はWANDS 2001年11月号に次の読後感を書いた。

+++++

新刊本と一緒に届いた著者の葉書に、「これは20年前の著作『比較ワイン文化考』の姉妹篇で、妹の誕生までずいぶん時間がかかった。この間、世界のワイン事情がめまぐるしく変わり、それを読み解くために途方に暮れたから」という説明があった。

もう20年も経ったのか。『比較ワイン文化考』は、この仕事を始めた時すでに事務所の書架にあって、何気なく手にした本だった。ワインを比較文化の視点でとらえた本とは思わず、何だか面倒な題名だけれど“ワイン”の文字があるからワイン本だろうくらいの気持ちで読みかけたことを覚えている。しかし、それから何度となく読み返す本になった。

生まれたばかりの“妹”を読んだ。これまで乱雑に放置してあったワインづくりとその周辺の事柄が、読み進めるにつれて、なるほど、そうだよな、と頷きながら整理できた。『比較ワイン文化考』以降の20年間、ワインの世界は大きく様変わりした。新しい産地が生まれ、シャルドネとカベルネ・ソーヴィニヨンが世界を飛び交い、テロワールなる得体の知れない言葉をあちこちで聞くようになった。こういう情況を著者はすらりと解いてくれる。そして、

「凄いワインは“技術”で生まれるのではなく、いかにそれを用いるかを判断できる“人”がいなければいけない。そしてその人には、自分の拠って立つ“テロワール”に、いかなる“品種”が相応しいかを洞察する力が求められる」と、結論付けた。

“妹”を読んで改めて思った。20歳も年齢の離れた“姉”がいかに偉大なのかを。『比較ワイン文化考』は、その後の世界のワインに起こるだろう事柄をきちんと伝えている。少し長いが引用する。もちろん、ここにはそれから10年以上も後になって使われはじめる“テロワール”などという言葉はない。必要なら“風土”を“テロワール”に置き換えて読めばよい。

「降雨量や日照時間、積算温度などの気象データを添え、さらに土壌成分やロケーションに意味付けしてみても、風土の本質的な理解にはほど遠いのである。そのようなところからでは、良いワインがなぜ生まれてきたか説明することはできない。これまでのワイン風土論に欠けているのは、ブドウ畑をとりまく風土を自然環境として観照することに流れ、そこに生活し、ワインを飲み、かつ評価する人間の側からの働きかけを見落としている点にある。良いワインは、良いワインを認め、それを求める飲み手がいてこそ、はじめて存在しうるのである。しかし、この辺の事情は名だたる銘醸地の造り手にも分かってはいない」

『ワインづくりの思想』は、日本でワインを造る人たちへの応援歌ともとれるし、著者本人がもう一度この国でワインを造ろうという決意ともとれる。(K.B.)

  • 醸造産業新聞社が「麻井宇介氏絶版の4著作同時再出版」にあたり小冊子「浅井昭吾と麻井宇介が遺したもの」を上梓するあたって寄稿したものに手を入れた。

 

追って、以下の内容をウォンズのウエッブサイトにて掲載していきます。

「麻井宇介のワイン余話」

その1 ワインづくりが技術を獲得するまで ①&② ③&④ ⑤⑥⑦

その1 ワインづくりが技術を獲得するまで 〜パスツール以後〜 ①&② ③&④ ⑤&⑥ ⑦&⑧

その2 品種を巡るパラドックス 〜カベルネとシャルドネは究極の品種か〜 ①&② ③&④ ⑤&⑥ ⑦&⑧ ⑨&⑩ 11&12 13&14

その3 伝統産地 VS 新興産地 〜テロワールは産地の名声を支えられるか〜

その4 日本のワインづくり 〜変遷と未来像〜

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

ページ上部へ戻る