世界が注目するアルメニア最高峰の造り手 ゾラZorah

アルメニアがどこにあるのか誰も知らない。もちろん、アルメニアでワインを造っていることも知らない。ゾラ・ワインズのオーナー、ゾリック・ガリビアンの開口一番である。輸入元・モトックスのはからいで、9 月下旬、妻・イェラズと初来日したゾリックから話を聞き、アルメニアワインを試飲する機会を得た。

 

ワイン発祥の地はカスピ海と黒海に挟まれたコーカサス地方とされ、現在のアルメニア、ジョージア、アゼルバイジャンがそれに該当する。ジョージアのブドウとワインについてはデヴィッド・コッボルドが今号(2017年9月号)UNCORKで詳述している。アルメニアはそのジョージアの南に位置する。

 

2007 年にアルメニアのアレニ洞窟でブドウの枝と種、ワインを造ったアンフォラ(甕)が見つかった。いずれも6,000 年前(紀元前4,000年)のものと言われている。つまりアルメニアには6,000 年に及ぶブドウ栽培とワイン造りの伝統があったのだが、近年になってそれが途絶えていた。1991 年に独立するまでの70 年間、アルメニアはソビエトに支配されていた。この間、ワイン生産はジョージア、ブランデーはアルメニアというソビエト農業政策のもとにあったから、アルメニアの在来種で造るワインはすべて蒸留してブランデーになっていた。

 

さらにソビエト以前はオスマン帝国のアルメニア人虐殺があり、国外に逃れ難民になった人々が多かった。いまでもアルメニアに居住するアルメニア人は250 万人であるのに対して国外に住むアルメニア人は700 万人にのぼるという。じつは、ゾリック自身もイタリア生まれのアルメニア人で、「1998 年に初めてツーリストとしてアルメニアを訪ねた」のだという。

 

以降、たびたびアルメニアを訪ねるうちにこの地にブドウ畑を再興してワインを造ろうと思うようになったという。初めはトスカーナのサンジョヴェーゼを持ち込むつもりだったが、野生化したたくさんの在来種の存在を知り、在来種でワインをつくることに方針転換した。

さっそく当時のアルメニアの栽培エキスパートに相談を持ちかけると、「アルメニアのブドウでスティルワインを造るのは難しい」とにべもなく断られた。彼らは、70 年の長きにわたりアルメニアの在来種は蒸留酒用ブドウであると洗脳されていたからである。

 

ゾリックは仕方なくアルベルト・アントニーニに相談した。そして2001 年、ヴァヨツ・ゾルVayotz Dzor に「ゾラ・ワインズ」を創立した。ゾラZorah はゾリックのニックネームである。アルベルトと二人で修道院所有の畑に出向き、長らく放棄されていたブドウ樹の枝を分けてもらった。さいわいアルメニアにはフィロキセラの被害がないので接木をせずに穂木を挿し木した。

 

乾燥地でブドウを新植するには灌漑が必要だ。ところが周囲に水源がない。井戸を掘ったのかとゾリックに聞いた。すると、

「いいえ。わたしは本当に運がよかった。ちょうどその頃、世界銀行がアルメニア政府に融資して水利プロジェクトを実施する計画がスタートしました。雪解水を引き込むパイプラインが、なんと私の畑を通っているではありませんか。わたしは小躍りしながらこの計画にくわわらせてもらいました」。

 

それでも畑の新植を始めてからの8 ~ 9 年は暗黒時代だったという。

「次から次へと問題が起きて、結局、1 本のワインも造ることができなかった」(ゾリック)。それでもアルメニアワインを復興する、この地でワインを造るという思いはブレなかったし、ファインワインを造ることができる自信はあったとゾリックは振り返る。初ヴィンテージは2010 年産だった。イギリス市場がゾラを高く評価した。そしてゾリックの住むイタリア市場も購入してくれた。 (K.Bansho)

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