- 2018-1-9
- Wines, イタリア Italy
「フォンタナフレッダ」は、セッラルンガ・ダルバの自社畑100haが単独でMGAに登録され、2013年から「バローロ プロプリエタ・イン・フォンタナフレッダ」を造り始めた。”MGA (Menzioni Geografiche Aggiuntive)”とはフランスでいうクリュの存在だ。数年前にアレッサンドロ・マスナゲッティがバローロとバルバレスコの全MGAを掲載した分厚い本を出版している。
<フォンタナフレッダのロマンスと悲哀>
ワイナリーの名称フォンタナフレッダは「冷たい湧き水」を意味する言葉で、セッラルンガ・ダルバ北端に位置する130haの敷地を表す地名だ。ここは、1861年に統一されたイタリア王国初代の王・サヴォイア家のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世が購入した狩猟のための森だった。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世は、ピエモンテにフランス文化をもたらした人でもあった。彼は、購入当初はわずかだったブドウ畑を徐々に増やしていった。王は早くに妃を亡くし、後妻に入ったのがローザという若い娘だ。王が一目惚れしたというローザは兵士の娘で、当時は貴族でなければ王家に嫁ぐ事ができなかったため、王はローザに「コンテッサ(伯爵夫人)」の称号とともにこの土地を与えた。それからローザはここに住み「コンテッサ・ディ・ミラフィオーレ・フォンタナフレッダ」となった。
そして、ふたりの間に生まれたエマヌエーレ・アルベルトが重要な役割を果たした。王にはすでに男子が生まれていたため、エマヌエーレ・アルベルトは王子になることなく「コンテ(伯爵)」の称号のままこの地を治めていた。そして本格的なワイン造りを始めることに決めたのだ。近隣では1軒が持つ土地は極小さなものだったが、フォンタナフレッダは広大な土地で敷地内に醸造所も建築した。
「カーザ・エマヌエーレ・ディ・ミラフィオーレ」。これが、1878年に設立された当初の会社とバローロの名称だった。エマヌエーレ・アルベルトは、ワインについての先見性があるだけでなく社会性にも優れた人物だった。フォンタナフレッダのCEOロベルト・ブルーノが説明した。
「トリノでもそうだが、サヴォイア家は農業従事者のために家を建てるなど、環境を整えた。この敷地内にあるセラーに使われている建物の上階は住宅になっていて、多い時には200人が住んでいた。一つの村のようなもので、1970年代までは教会や学校、レクリエーション施設もあった。人とワイナリーとの繋がりがとても強く、技や伝統を引き継いでいくのにとても重要なことだった」。今でも15家族が住み、セッラルンガ村の村長もここの住民だという。
またエマヌエーレ・アルベルトは、バローロを世界へ伝えた人でもある。ロイヤルファミリーとの繋がりがあることはもちろん、アメリカやカナダにもすでに輸出していたようだ。
ただし、その後は不運が続いた。エマヌエーレ・アルベルトが43歳という若さで亡くなった。息子が後を継いだがフィロキセラ禍に見舞われ、世界大戦や世界恐慌の煽りも受け、1930年にミラフィオーレ社は破産の憂き目にあう。その後、1932年に銀行の管理下に入り、トレードマークの「ミラフィオーレ」をガンチャへ売却してしまった。銀行がワイン造りの再開を決めたのは1946年。ミラフィオーレの名は使えないため敷地の名称である「フォンタナフレッダ」として始めることにした。
<フォンタナフレッダの再興とミラフィオーレの復活>
フォンタナフレッダの敷地130haのうち、100haがブドウ畑だ。銀行管理下の時代に生産量が増え、合計で750万本のワインを生み出すようになった。それゆえ「フォンタナフレッダは大手だ」という印象が強い。確かに、量を重視する時代もあったように思う。しかし、もともと優れた畑を自社で所有していることから、埋もれた宝のような存在でもあった。
その証拠に、1999年から醸造長がダニーロ・ドロッコに栽培長がアルベルト・グラッソに代わってから、評判はうなぎ登りだ。加えて、2008年にオーナーがイータリーのオスカー・ファリネッティとルカ・バッフィーゴになり、改革に拍車がかかった。
そしてこの土地の伝統を象徴する「ミラフィオーレ」の名前も2009年に買い戻すことができた。ただし、今までのフォンタナフレッダのアイテムとは一線を画すため、新会社を設立しワイン造りの現場も分けた。創業当時に使われていた「王のセラー」と呼ばれる場所で、その頃は栗の木の樽で熟成されていたという。今ではフレンチオークだが、容量は同じ30hl前後の大樽が並んでいた。
「当時のポリシーを尊重したワインを造ると決めた。ネッビオーロ、バルベーラ、ドルチェットの赤ワインだけ。長いマセレーションを施し、大樽のみで長い熟成を行う。ただし、洗練された味わいで現代の味覚に合わせる、という点がプラス・アルファの考え方だ」。
フォンタナフレッダのラベルが、世界の広範囲の人々に対してホリゾンタルなアプローチだとすれば、ミラフィオーレは6つのキュヴェだけの洗練された高みを目指すヴァーティカルなアプローチとなる。畑も25haほどと限定されている。日本以外は、輸入元を分けて販売開始した。
<MGAフォンタナフレッダ>
2013年ヴィンテージから「バローロ・プロプリエタ・イン・フォンタナフレッダ」というラベルが生まれた。これが「MGAフォンタナフレッダ」のバローロだ。バローロの産地全体で181のMGAが登録されたが、1社が単独所有しているのはこの「フォンタナフレッダ」だけだ。2013年以前は「バローロ・セッラルンガ」に使用していたブドウで、醸造から別にしている。
醸造長のダニーロ・ドロッコは、地図を示しながら「MGAフォンタナフレッダ」の特徴を説明した。
「バローロ・エリアの中で、セッラルンガを筆頭にカスティリオーネ・ファレットとモンフォルテ・ダルバが古い地質で、ストラクチャーが強く長寿なバローロが生まれる。フォンタナフレッダの北部の畑はセッラルンガにありながら、その他のバローロ・エリアの地質も含まれており、ピノ・ノワールのような特別なタッチと洗練された芳香が得られる。タンニンがシルキーで、余韻が長く、ずっと飲み続けられるような、ピノ・ノワール的なスタイルを明確に表現したい」。
「MGAフォンタナフレッダ」用に選ぶブドウは、樹齢35〜50年の古木。ネッビオーロにはミケ、ランピア、ロゼの3種類の亜種があるが、このキュヴェはロゼの割合が多い。理由は「色は出ないがピノ・ノワール的な要素が豊かだから」だ。そして2017年のようなとてもドライな年でも、古木は深く根を張っているため大きな問題が出ることもなく、フレッシュで十分な成熟が得られた。
フォンタナフレッダのバローロのヒエラルキーは実に綺麗に形成されている。伝統に則った、バローロ・エリアの複数の村のネッビオーロをブレンドしたクラシックなキュヴェ。そして、拠点を置くセッラルンガ・ダルバ村だけのキュヴェ。その中でもモノポールの「MGAフォンタナフレッダ」から厳選したブドウによるキュヴェ。さらに、1964年から造り始めたという高名な単一畑「ラ・ローザ」がある。もちろんラ・ローザは、王に愛された女性であり創業者エマヌエーレ・アルベルトの母の名前だ。
Barolo 2013 複数の村のブレンドで、ラ・モッラ、モンフォルテ・ダルバ、カスティリオーネ・ファレットが主体。ほぼ大樽熟成。「果実とボディが重要で、誰にでも親しまれるバローロ」を目指している。2013年らしい、ジューシーな赤い果実の香りが上品で、タンニンは豊かながら多すぎることなく細く長い味わい。除梗破砕の後、2〜3日ポンピングオーバーし、マセレーションは中程度から長め。下に沈んだ種は除去してタンニンのマネージメントを行う。
Barolo Serralunga d’Alba 2013 (Vino Libero)6,000万年前に海底だった場所が、アフリカ大陸の接近によりアルプス造山運動の際、まず海から持ち上げられたのがセッラルンガで、風化が進み古い地質だけがむき出しになったため、とても貧しい土壌。上質のネッビオーロだけを使用しており、70%は自社畑のブドウ。1年目は小樽で、2年目は大樽で熟成させる。スパイス、森の木のような香りなど複雑な香りで、アタックはなめらかだが後半からタンニンが勢いを増す。「貴族的なボディとタンニンが特徴で、小樽熟成で丸さを加えている」。
Barolo Proprietà in Fontanafredda 2013 少し閉じた香りで、赤い果実やスパイスなど上品な香りが徐々に立ち上る。なめらかで心地よい質感があり、タンニンもはじめは丸みが感じられる。シルキーで気品のある香りと味わい。
Barolo La Rosa 2013 (Vino Libero)9.41haの単一畑。粘土に加えて砂が7〜8%あることで「香りの高さ、プラス・アルファの味わいが得られ、エレガントでフェミニンなバローロになる」。1年目は1〜2年使用の小樽にて、2年目は大樽で熟成させる。赤い果実や花の香りにはまだフレッシュ感があり、立ち上る上品な香り。とても綺麗なテクスチャーで、タンニンはとても豊かだが攻撃的な側面がない。(Y. Nagoshi)
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トップ画像:この丘全体がMGAフォンタナフレッダ(画像提供:フォンタナフレッダ)
輸入元:モンテ物産株式会社
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