創業30周年を迎えたモンテス チロエ島にチリ最南端のブドウ畑を拓く

チリワインのモンテスが創業30周年を迎えたのを機に、輸入元エノテカは創業者アウレリオ・モンテスを招き、東京で記念のスペシャルディナーを開いた。

アウレリオ・モンテス

アウレリオ・モンテス

 

チリにおけるワイン造りの歴史は長いけれど、今日のような品質のワインのそれは1990年代になってからだ。だからモンテスはプレミアムワインのカテゴリーでは最古参のひとつと言ってよいだろう。

モンテス・ワイナリーは、サン・ペドロで働いていたアウレリオ・モンテスとダグラス・ムライが他の2名とともに、世界市場に販売できるプレミアムワインを造ろうという思いで設立したのだった。1988年のことである。当初は「ディスカバーワイン」と名乗っていた。1990年代に頻繁に来日したダグラス・ムライから独立当時の思いを幾度となく聞かされたが、アウレリオ・モンテスに当時の話を聞く機会はなかった。今回は絶好のチャンスに恵まれた。

 

アウレリオ・モンテスはチリ・カトリック大学でブドウ栽培と醸造を学び、1971年にウンドラガにエノロゴとして入社した。アジェンデ政権下でワイン産業は不振をかこっており、同級生のなかでワイン醸造分野に進んだのはアウレリオただ一人だったという。チリワインの輸出は生産量のわずか3%、それもラテン・アメリカ諸国に売っていただけ。アウレリオはずっと国内市場向けのコモンワインを造っていたという。それでもブドウを購入するために毎年、チリ各地の畑を巡っており、当時からコルチャグアのアパルタのブドウに大きな可能性を感じていた。

 

1984年、請われてサン・ペドロに入社。全盛期に国民一人当たり50ℓだったワイン消費が15ℓまで減少して、輸出市場に向かわなければチリのワイン産業は絶えてしまうという時期だった。しかし当時、国内向けに造っていたワインの品質と、輸出市場が受け入れる品質には大きなかい離があった。ところが大きな国内市場シェアを持つサン・ペドロではそれに対応できない。ダグラスらと新しいワインを語る日々が続き、ついに1988年、輸出市場向けのワインを造るために独立した。

 

まず、1987年産ブドウでモンテス・アルファ・カベルネ・ソーヴィニヨンを造って輸出し、大きな評価を得た。1990年、アパルタ(コルチャグア)に50haの土地を購入し、ブドウ樹を植え、そこに醸造所を建てた。1996年にボルドー・ブレンドのモンテス・アルファMをリリース。翌1997年、アパルタの急傾斜地にシラーを植え、2000年にモンテス・フォリーを造った。2003年にはカルメネールのパープル・エンジェルを、2005年にはアコンカグアの海沿いサパヤルにピノ・ノワールなどを植え、アウター・リミッツの名で冷涼地のワインを造りだした。あっという間の快進撃で、プレミアム・チリワインのリーダーの座に上りつめた。創業25周年にあたる2013年には、総仕上げとしてアイコンワイン・タイタを造り、醸造の責任をアウレリオ・モンテス・ジュニアに譲ったのだった。

 

モンテスは2009年から水資源の有効利用を目指すプログラムに全社で取り組んでいる。灌漑の頻度を控え、キャノピーを低くするなどの取り組みで年間の使用量が20%減少した。もちろんこのことで生産量は逓減している。ただ、この1年間の水資源のセーブの取り組みで2万人分の年間飲料水を確保できるのだという。

 

創業30周年の節目にあたり、アウレリオ・モンテスは新しい事業にチャレンジする。それはパタゴニアに近いチロエ島でのブドウ栽培だ。チロエ島は南緯42度で雨も多くとても寒い島である。緯度42度は北半球で見ると北海道・余市に当たる。ブドウ樹を植えるのはチロエ本島ではなく本島東側の小さな島だという。チロエ島西側にはフンボルト海流が流れてとても寒いが、ここは瀬戸内海の小島のように外洋から隔離されており寒さがいくらか緩和される。この6月にピノ・ノワール、アルバリーニョなどを植える計画で、これが実現すればここがチリ最南端のブドウ畑になる。(K.Bansho)

 

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