「山仁酒店・代表取締役社長 大橋健一氏、マスター・オブ・ワインへ」

<マスター・オブ・ワインになるには>

実際の筆記試験や論文は日本語で対処できるとしても、基本的にはすべてを英語でこなさなければならないため、日本人にとっては、英語の壁も存在する。しかし、優秀なネイティブでもスタディ・プログラムに入ってから最低でも5年かかると聞く。大橋MWは、2009年からプログラムに入ったため、6年で合格したことになる。一体どのような段階を経て、多岐にわたるワインの知識や技術を身につけたのだろうか。

「初めて1年目の講習を受けた時に、WSET(ダヴルゼット)のディプロマを持っているかを聞かれた。持っていない場合にはそれに相当する知識を身につけているのか、を聞かれた。これは絶対に取っておいたほうがよい」。

日本でも何か所かにできているワインの教育機関だが、近年この最高資格のディプロマの試験は、MWが作成しており、マスター・オブ・ワインの試験形態に似通ってきているため「前哨戦としてよい」ともいう。

テイスティングに出るアイテムもそうだが、どの分野の筆記問題でも、世界中の情報を持ち、複数の例を挙げながら説得力のある答えを書かなければならない。そのため、情報収集は常に怠ることができない。

「やはり、世界中のことを追いかけるべき。ただ、適切な情報を探すのには時間がかかる。だから私の場合には、定期購読するならどの雑誌が一番よいかを多くのMWに聞き続け、購読して、わからない言葉は調べるようにしていた。インターネットの情報は、ジャンシス・ロビンソン・コムは読んでいた。また、協会の推薦図書は全て読破した」。

スタディ・プログラムに入ると、志願者1名ずつにメンター(個人指導者)があてられる。大橋MWの場合には、1年目はメンターが南アフリカのリン・シェリフMWだった。しかし、当時彼女はMW協会のチェアマンを務めていたこともあり、忙し過ぎてほとんどアクセスできなかったという。

「私も試験を少しなめていた。それもあり、1年から2年へ上がれず、留年してしまった。その頃、ちょうどネッドがMWになり、私のメンターとなった。彼がとてもよく面倒を見てくれたのが、大きな追い風となった。それまでは1日3時間ほどしか勉強時間をとっていなかったが、ネッドがついてくれてからは、やるべきことが膨大だとわかり、毎日6時間は勉強した」。

1年生を2回、2年生を2回、そしてまず2013年に実技をパス、2014年に理論をパス、今年2015年に最後のリサーチ・ペーパーを提出し、すべてを完了した。

「理論の試験に臨む前の1年間は、まる一日勉強に費やした」。

2年生になれば既に受験資格はあるが、1回目の2年生を終えた段階で、師匠の一人であり、IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)の日本酒部門の審査会でチェアマンを共に務めるサム・ハロップMWからは「まだ受験しないほうがよい」と言われたという。ネッド・グッドウィンMWからも、実技では通る可能性があると認められていたが、理論はまだダメだしをされていた。

「規定の期間内に両方を突破できないと、ご破算となり一からやり直しとなる。3年も休むことになるから、そうなると、とてもではないが戻れない」。

ある時にジャンシス・ロビンソンMWが何かに「今は当時(1984年取得)よりずっと分析的になっている」というような内容を書いていた。時代と共に、ワイン造りの現場の技術が変化しているだけでなく、情報量が増え、そのスピードも増し、進化し続けている。この現状を考えれば、モチベーション、集中力を持続するのが、どれほど困難なことか、想像できなくはない。(Y. Nagoshi)

つづく/これ以降の内容

「周囲のサポート」

「最後の大関門リサーチ・ペーパー」

「リサーチ・ペーパーで言及したこと」

「今後の展望」

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