オールドパーを軸にした、和の食と職人文化を応援するプロジェクト
オールドパーと江戸小紋、唐津焼、そして狂言
オールドパーといえば「正統派プレミアムブレンデッドスコッチウイスキー」と呼ばれ、何となくダンディーな渋い男性の飲み物だ、というイメージがあった。ところが、このところちょっと印象が変わってきた。洒落ていて、グッと現在進行形の日本の領域に入り込んでいる。
ひょんなことから、オールドパーが、江戸小紋、唐津、そして狂言と出会う時を垣間見ることになった。半ば日本の産物であるかのようにこの国に根付いているいわゆる舶来ものと日本の伝統文化とが、一体どう重なり合うのだろうか。もしかすると面白い化学反応が見られるかもしれない、という興味にしたがって出かけた。
ところが、それらに同時に触れてみると、不思議としっくりくる。そう感じたのはなぜか、と考えてみた。
岩倉具視西欧使節団がイギリスから持ち帰って以来、日本で親しまれ続けてきたオールドパーのボトルは、見るからに古き良き雰囲気を醸し出している。ボトルがただ棚に置いてあるだけなら気がつかないのだが、底面の4つの角がカットされていて斜めに立てられる形状になっている。江戸小紋の小さな座布団に斜めにのせる、まるでほろ酔い気分で笑っている人の姿にも見えてくる。
かつてこの傾き加減を見て「右肩上がり」だからそれにあやかろう、と昭和初期のリーダーたちはオールドパーを飲んだ。
江戸小紋の生地をつぶさに眺めてみると、花びらかと思っていた模様は、実は「千客万来」という文字がとても細かにいくつも繰り返し描かれていた。
この座りの良さは、両者の遊び心が醸し出し合っているのかもしれない。
そして、唐津焼の白い片口と汲み出し茶碗。
スコッチウイスキーは、ロックグラスで飲むのが普通だと考える。しかし「和職倶楽部」からの提案は、日本酒のような、焼酎のような飲み方だ。
「オールドパー12年」の場合「ウイスキー1:水2」という割合が最もいいようだ。銘柄別に飲み方指南があるようなので、それはまた別の機会に理由を探ってみたいと思う。
予め、オールドパー12年を水で割って片口に入れておく、というのがポイントだ。食卓にのぼる前に既に割水されているので、水との馴染みがよい。そして、ボトルからそのままグラスに注ぐのではなく、ワンクッションおいてから銘々の酒器に入れられる、という発想が面白い。まるで、洋のものを一旦日本人が咀嚼して、和の要素を加えて表現する、という日本独特の文化を卓上で見ているような感覚に陥った。
唐津焼は、伊万里や有田と同様に佐賀県が誇る陶器のひとつではあるが、もともと李氏朝鮮から伝わった技法を用いている。海外からの技術を取り入れて、日本に馴染み長い間親しまれてきた器である。かつては茶道具の名品としてあがめられた時代もあったが、今ではまた私たち庶民の生活の中で使われるようになってきている。そういう意味で、かつてのリーダーたちが飲み続けた酒の、新しい飲み方に、ちょうどふさわしい器なのかもしれない。
ちなみに汲み出し茶碗というのは、茶事が始まる前に待ち合いなどで一口飲む白湯(さゆ)を入れる器の名前だ。茶事は、予め様々な準備を施して客人を迎える、いわば究極の「もてなし」のひとつだ。事前に水で割って片口に入れておく、という行為もまた、ひとつの「もてなし」の形のようにも思う。
更に、オールドパー12年が「狂言ラウンジ」という空間で飲まれている現場にも足を踏み入れた。渋谷のセルリアンタワーに能舞台がある。狂言の大蔵流25世の次男、大藏基誠が狂言を「パーティー感覚で」楽しんでほしいと発案したものだ。上演前後に現代劇とのコラボレーションで、おもしろおかしくわかりやすく演目解説をする。それだけでなく、オペラ上演のホワイエのように、上演前後に館内にある「数寄屋 金田中」が、演目に合わせた洒落た名前の料理と共に、飲み物をサービスする。そこにも、オールドパーの姿があった。
観客に「ダンディーな渋い男性」がいないわけではなかった。しかし、どちらかといえば、今風のオシャレをした、若い男女やグループが集って観に来ている。狂言に加えその前後の時間や空間を、トータルで愉しんでいる様子が印象に残った。昔ながらのものが、古びていない。新たな息を吹き込まれている様は、見ていて気持ちのよいものだった。(Y. Nagoshi)
(江戸小紋 by 廣瀬染工場 廣瀬雄一/唐津焼 by monohanako/中里花子)
(画像提供:MHD モエ ヘネシー ディアジオ/撮影:秋田大輔)
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