その名の通り、登ると美しい風景が臨める登美の丘では、1909年から1世紀以上に亘りワイン用の葡萄栽培が脈々と続けられてきた。この土地からしか生まれ得ないワインで世界を感動させたい。そう願い日々奮闘する姿を取材した。
<登美の丘の100年>
甲斐市の中部、かつての登美村にある小高い丘陵地帯は、1909年から小山新助によって開墾された。ドイツからワイン技師ハインリッヒ・ハムを招聘して接木の方法を教えてもらいながらのことだ。この時、既にワイン用葡萄栽培のために「登美農園」が拓かれた。
サントリーの前進である「寿屋」が継承したのが1936年のこと。「寿屋山梨農場」と改称し、赤玉ポートワイン用の葡萄栽培が始まった。その後1950年代半ばに、スティルワインのために欧州品種の栽培を開始した。しかし不運にも1984年のひどい凍害でほダメージを受け、1985年以降に全てを植え替えた。したがって、現在残っている最も古い樹は、1970年代植樹の甲州だという。
そして2000年代に入ってから、植え替えを始めた。100周年を迎えた後の2010年以降は「世界を感動させる日本ワインを造ろう」という明確な目標を掲げて取り組んでいる。
最もこの丘の環境に適した葡萄品種は何か。今までの経験から熟考し、その葡萄から唯一無二のワインを造ろうというのだ。それが、登美の丘ワイナリーのテーマ「世界を感動させる日本ワイン」へ、いち早くたどり着く方法だと判断したにちがいない。何より「適地適品種だ」と言うワイナリー長の渡辺直樹の言葉には、この歴史的な葡萄畑を継承するにあたっての強い決意が感じられた。(Y. Nagoshi)
画像:渡辺直樹ワイナリー長(右)と近保和志チーフワインメーカー @登美に使うメルロの畑にて
以下 <登美の丘の葡萄畑> <登美の特性とデータによる裏付け> <適地適品種> <垣根仕立ての甲州> <白ワイン造り> <赤ワイン造り> <造りの変化> につきましては、ウォンズ10月号をご覧ください。ウォンズのご購入・ご購読はこちらから
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