- 2018-12-14
- Wines, 南アフリカ South Africa

「ケープのぶどうから最初のワインが本日無事に造られました」と、1659年2月2日に記された。オランダ東インド会社の初代ケープタウン総領事を務めたヤン・ファン・リーベックの日誌だ。ヨーロッパ=インド航路の食品供給地としてケープタウンに街がつくられた。1652年に総領事となったリーベックは1655年にぶどう栽培を提案し、4年後に初めてのワインができあがった。
KWV設立でワイン造りが産業に
その後、17世紀後半にはフランスのユグノーが入植したことにより、ぶどう栽培や醸造の技術が発展した。またイギリス統治下の19世紀初頭には量産可能で病気にも強いセミヨンが広く栽培されるようになった。19世紀後半にはオイディウムとフィロキセラ禍により壊滅的な打撃を受けたが、接木などの対処が終わるとまた増産が始まった。それほどぶどう栽培に適した土地であるという証でもある。
しかし、再び供給過多となり従事者たちは薄利に苦しんだ。そこで変革が求められ、ぶどう栽培農家によって結成されたのがKWVだ。1918年にKWV(Ko-öperatieve Wijnbouwers Vereniging Van Zuid Afrika 南アフリカぶどう栽培家協同組合)が設立された。ぶどうの最低取引価格設定や生産量のコントロールなどの規制や統制により、栽培農家を保護することを目的とした。さらにKWVの設立により、南アフリカが国をあげてワイン造りを産業として発展させるベく取り組み始めるきっかけとなったのだ。
KWVのワインが南アフリカ産ワインに等しかった時代に、いくつかの出来事が起こっている。例えば、南アフリカ独自の品種ピノタージュが、KWVの初代栽培責任者となるアブラハム・ペロード教授により1925年に交配された。1972年には原産地呼称制度(W.O.=Wine of Origin)が制定された。 また、古木プロジェクトが昨今注目を浴びているが、それは1950年代にKWVがシュナン・ブランの植樹を推奨したことが源となっている。
そして、1994年にネルソン・マンデラ政権が発足し、KWVは時代に合わせ再編成されることになった。1997年に法人となり、新生KWVの時代が到来した。
KWVならでは
2016年よりCEOを務めるボイス・ロイド氏曰く「KWVは南アフリカワインのマザーシップだ」。栽培・醸造、法制度などの基盤を構築したことに加え、法人になってからは輸出に尽力した功績を讃えられ、ネルソン・マンデラ大統領より大統領賞を授与された。
また、幅広いラインナップを抱えているのもKWVの特徴のひとつだといえる。「いわゆる新世界的なスタイルも、旧世界スタイルも、どちらもある。
また、栽培家との長年の繋がりがあるため、ウエスタン・ケープのほぼ全域からぶどうを得られるのが強みだ」。これまで南アフリカワインの歴史を形作ってきたという誇りを持ちつつ、まだチャレンジするべきことは多いと感じているという。「品質の良さやその一貫性、偉大なワインが生まれる産地であることをよりアピールしていきたい。
また、オープンマインドで、消費者をよく知る努力を続けていきたい」と考えている。(Y. Nagoshi)
輸入元:国分グループ本社株式会社
つづきはWANDS 2018年12月号をご覧ください。
12月号は「オーストラリアワイン/南アフリカワイン」特集です。
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