設立50周年を迎えた ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所

30数年ぶりにニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所を訪ねた。

1969年5月10日に竣工した宮城峡は、今年、設立50周年を迎える。創業者・竹鶴政孝が、「スコッチに負けないブレンデッドウイスキーを日本でつくる」という思いを実現するために、北海道・余市とは異なる原酒造りに適した土地を探し、辿り着いたのが宮城峡だった。広瀬川の支流・新にっかわ川の水を汲み、ブラックニッカの水割りを作って飲んだ竹鶴が、「すばらしい水だ。ここに決めた」と言ったという。そして当時の県知事と交渉して、この地に「ニッカ1番地」という地番をもらったとも言われる。

 

この蒸溜所はなぜ宮城峡と名付けられたか。現在の蒸溜所所在地は仙台市青葉区ニッカ1番地で、どこにも「宮城峡」由来の名前がない。これは1989年に仙台市が周辺の町村と合併して政令指定都市になったためで、それ以前の地名は、宮城県宮城郡宮城町ニッカ1番地だった。これはもうこの蒸溜所を「宮城峡」と呼ぶしかないではないか。

 

蒸溜所の敷地内を歩いてみたが、なかなか当時の記憶がよみがえってこない。それはたぶん、キルン塔の隣に西宮工場から移設されたカフェスチルを収納する大きな建物があったり、ビジターセンターが新築されていたりして、当時と様子がすっかり変わってしまったからだろう。ただ、蒸溜棟の中のポットスチルはそのままで、スチルの形状はバルジ型、ラインアーム(冷却器に繋がるパイプ)が上方に向っているのが宮城峡の特徴だ。ガスを用いて130℃の蒸気をおこし、その熱で間接的に蒸溜する。石炭を燃やして直火蒸溜する余市蒸溜所とは異なる味香の原酒を生み出している。

スコッチにたとえると、余市モルトがハイランドなら宮城峡モルトはローランドのような穏やかな味香になる。

「自然を大切にしなければおいしいウイスキーはつくれない」。竹鶴政孝は折にふれ、自然への敬意を口にしていたという。その考えは宮城峡蒸溜所の設計にもはっきりと生かされている。建設地の樹木の伐採は最小限に留めて森を残し、電線はすべて地下に埋設した。土地の起伏や傾斜をそのまま生かし、製造設備ごとに異なる高さの建物を作っている。

 

ウイスキー消費は1980年代をピークに減少傾向が続いたが、2008年に底を打って反転増加している。2018年も増えた。消費低迷の間、宮城峡蒸溜所のモルト製造設備も1系列を休止させていたが、2016年に設備を復旧して増産体制に入った。2019年のモルトウイスキー製造計画は2015年比約180%で、現在は24棟を数える貯蔵庫も増設し、2021年には宮城峡蒸溜所の貯酒能力を約4割増強する計画だ。

 

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