「麻井宇介のワイン余話」 余話。その1 ワインづくりが技術を獲得するまで 〜パスツール以後〜⑤&⑥

「麻井宇介のワイン余話」 余話。その1 ワインづくりが技術を獲得するまで 〜パスツール以後〜⑤

それでは、パスツール以後、品質における進歩はあったのでしょうか。1960年頃までは着目すべき動きは殆どなかったように思います。特に伝統産地は眠り続けていたといってよいでしょう。進歩はマスプロダクションに対応する機械化、装置化の分野に目覚ましく、醸造そのものの技術革新は停滞していました。その最大の理由は、フランスの場合、AOCという制度を成立させた思想にあると思われます。

なぜなら、AOCはワイン生産地の畑を限定すること、しかもそれを小さく絞り込んでいくことによって価値を高めていく。つまりマスプロタクションの対極にある制度です。フランスに代表されるラテン系ワイン生産諸国は、ブドウ畑のポテンシャルを尊重し、EUのワイン法にもそれが反映されています。

しかし、ドイツだけは違っていたのです。もちろん、モーゼルやラインガウには世界的に著名な銘醸畑があります。その一方、ミット・プレディカート(肩書き付ワイン)という規則があって、価値の体系はこの制度のもとに構成されていました。基盤として在るのは原果汁糖度です。畑のポテンシャルより、現実に収穫し搾汁したそのジュースのポテンシャルを糖度で評価することを優先させたのです。

ラテン系民族のワインづくりには、ブドウ畑のテロワールに対する自負と諦念がまずあるんです。テロワールなるものについては、いずれ述べる機会があると思いますので立ち入りません。ここでは「風土」と解釈しておいて下さい。一方、ゲルマン系民族の考え方、つまりミット・プレディカートという価値づけは、 人間がブドウから引き出してワインに付与するものです。両者の間には自然に対する技術の在り方に本質的な相違があります。

これこそ、パスツール以後、ワインの品質に技術革新がどこから興ったか、それがフランスやイタリアでなくドイツだった理由なのです。私は独断的に、そう確信しています。その時期は1960年代、パスツールがワインの研究を行ってから実に100年後のことです。

 

「麻井宇介のワイン余話」 余話。その1 ワインづくりが技術を獲得するまで 〜パスツール以後〜⑥

余談を一ついれます。

ドイツにはアイスヴァインというトロッケンベーレンアウスレーゼ(貴腐ワイン)と並び称せられる稀少性の高いワインがあります。価格もたいへん高い。これは病気に侵されていないブドウを厳冬期まで収穫をせずに畑において寒波の襲来を待つ。気温が下がってブドウの果実がシャーベット状に凍結した時、すかさず圧搾機で絞って濃密な果汁を分離するのです。寒波がうまく到来するかどうかが成否の分かれ目で、ブドウの成熟程度や畑の由緒なんて、本来、どうでもよいのです。テクノロジーが付加価値を高めるという発想が、ドイツでは育ちやすい事情を垣間見る思いがします。

さて、1960年代、技術革新はどのようにして始まったのか。まず、醸造機械の新鋭化が進みます。それも中小ワイナリーで、単位操作ごとに個別に装備できる小型の機種が開発され、それらが一つのシステムとして機能すれば、ワインの新しいコンセプトとなるフレッシュ・アンド・フルーティな酒質がつくり出せるところまで、設備における質的性能は向上しました。

それらを列記しますと――。

<除梗破砕機> 当時は破砕後の果醪から梗を除去する型式が多く、梗を分離せずに次の工程へ進むことも珍しくありませんでした。

<空気圧式圧搾機(ヴィルメス)> 一般にはまだ堅型バスケットプレスの時代で、フランスではヴァスラン型が普及しはじめたところです。

<果汁処理用遠心分離機>

<プレート式熱交換機>

<濾紙濾過機>

<冷凍機> 果汁の低温保存、低温発酵、ワインの冷凍濾過など、広範囲に利用され、酒質向上に大きく頁献しました。

<タンク> 木製容器やコンクリートタンク、鉄タンク(エナメルライニング)の時代からFRP(ガラス繊維強化樹脂)やステンレスへ材質が移行し始めます。

 

こう見ると、ワイン醸造の重要な工程の設備は今日と同じレベルに、この時期、すでに到達していたことがわかります。要は、これらをいかに利用するかですが、その際、ドイツワインの大部分が白ワインであったことは、非常に重要な意味を持っていたのでした。

余話の余話」もご参考に(この前後の余話のリンク先も記しています)

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